管工機材業界初の『就職フェア』を開催します!!

投稿者:落合智貴
私が東京管工機材商業協同組合の理事長になって初めての「管工機材・設備総合展」が令和7年8月6~8日に東京ビッグサイト西2ホール開催されます。
一年前から準備を進めてきましたがいよいよあと一か月余りとなりました。

従来と変更したことが大きく二つあります。
一つは、事前登録制の導入です。
ご来場される場合はインターネットやスマホで事前登録が必要です。
所属やお名前、メールアドレスなどを入力して、入場証をプリントアウトしご持参ください。
事前登録やプリントアウトが難しい方は当日受付も可能ですのでご心配なく。
 →事前登録はコチラ

二つ目は「就職フェア」の開催です。
展示会二日目の8月7日と三日目の8月8日の10:30~11:30にトークショーを開催します。
中村優子さんという元アナウンサーの方にファシリテーターを務めていただき、私が理事長として管工機材業界を説明します。
その他、現役で管工機材業界で活躍する方3名にご登壇頂き、この業界で働くやりがいや苦労を語っていただきます。
会場は東京ビッグサイトの会議棟で、250名収納可能なお部屋です。
都内ハローワーク25か所にチラシを置いて頂きましたので、仕事を探している方に多く来て頂きたいと思っています。
職業訓練校や設備系の高校・専門学校にもPRして回っています。
皆様のお知り合いで、就職・転職を考えている方がいたら、年齢・男女問わずお気軽にお越しいただくようお勧め頂ければ嬉しいです!
 →就職フェアのお申込み

就職フェア

落合住宅機器の歴史を辿る【平成8年度(1996年度)】

投稿者:落合智貴
前年の平成7年に二代目社長である父 落合隆博が亡くなり、2年目の年度となりました。
この頃は祖父である落合義作会長も会社に来ることはほとんどなくなり、おおむね私一人で会社を取り仕切るようになりました。時には自宅の隣に住んでいた会長のもとに行き、業界の昔話や今後の対策などを話し合いながら経営を進めていきました。

設備業界としては鉄管が5.5mから4mに変更されたり、樹脂管のサヤ管工法が出てきたり、指定工事店制度の緩和があったりと動きがありました。24時間風呂のレジオネラ菌問題が表面化したのもこの年です。

この頃はバブル時代の高コスト体質を是正するために給与引き下げなどの対策をとり、回収見込みのない不良債権を処理するなど財務体質の再建が急がれていました。
しかし、かねてより懸案であった得意先T社の破たんがいよいよ現実となり、当社史上最高額の8500万円の貸倒れが発生しました。バブル崩壊による売上の減少に加えたダブルパンチです。これらをきっかけに当社の最重要課題は与信管理となりました。当時は今よりも手形の発行が大変多く、常に大きなリスクを抱えていました。だからこれ以上の不良債権を発生させてはならないとの思いで色々と勉強をしました。しかしその後も数年ごとに不良債権は発生しております。この8500万円の貸倒れは私が与信管理を考える大きな教訓となる事件でした。「理由なく支払期限を過ぎたお客様には販売しない」という原則をしっかりと守っていかなければならないと思います。
 
【社長就任二年目の25歳当時の筆者】

 

キッチン・バス工業会60周年記念式典に出席

投稿者:落合智貴
5月22日にグランドプリンスホテル高輪で「キッチン・バス工業会60周年記念式典」が開催されました。
東京管工機材商業協同組合の理事長としてご招待いただき、参加させていただきました。
キッチン・バス工業会はクリナップ、トクラス、パナソニック、TOTO、タカラスタンダード、LIXILなどのメーカーが参画している業界団体です。
私が手掛けた「管工機材の教科書」を2019年に初めて作ったときにご訪問させていただき、それ以来交流が続いています。

式典当日は竹内宏会長(クリナップ社長)など登壇者から、お風呂や台所の歴史を振り返るお話がありました。昭和40年代にはお風呂や台所は今振り返るとシンプルなものでしたが、今では機能やデザイン共に快適な住空間を彩る大事なアイテムになっています。
システムキッチンは様々なパーツの組み合わせでできており、ワークトップ・シンク・キャビネット・ビルトインコンロ・レンジフード・水栓などで構成されており、それぞれのパーツで日々進化を続けています。
ユニットバスは浴室換気乾燥暖房機・自動洗浄システム・除菌水洗浄・マグネット収納・ヘッドレスト浴槽・埋込式LED照明など新たな機能が開発されています。
これからも快適な生活に貢献できる商品に携わることが出来れば幸いです。

キッチンバス工業会

先代社長 没後30年

投稿者:落合智貴
私の父であり、当社二代目社長の落合隆博が亡くなったのが今から30年前の平成7年(1995年)6月4日でした。
父は昭和14年(1939年)に静岡県で中山家の三兄弟の長男として生まれました。
子供のころは戦争中で、空襲の時には防空壕に入っていたと言っていました。
長嶋茂雄に憧れて立教大学社会学部に進み、就職は東洋火災海上保険(現在のセコム損害保険)。
数学が得意で保険の商品開発を担当していました。
三兄弟の中山家と三姉妹の落合家は父親どうしが大学の同級生だった関係で家族ぐるみの付き合いをしており、父と母は結ばれました。
結婚を機に東洋火災を退職し、落合住宅機器に専務として入社。創業者で義理の父にあたる落合義作(私の祖父)と一緒に会社の陣頭指揮を執っていました。
昭和59年(1984年)に養子縁組により落合性に改姓。昭和63年(1988年)に当社二代目社長に48歳で就任します。
社長就任以来、バブル景気に乗って業績は最高売上を更新し続けます。しかしバブル崩壊の予兆が見えだしたころ体調を崩し手術に至ります。病気発症から1年半後に55歳でこの世を去りました。

私が三代目を継いで30年。
父が55歳で死んでいなかったら、落合住宅機器はどうなっていたか?
私の人生はどうなっていたか?
いつもそんなことを考えながら過ごしてきました。
父が亡くなったとき24歳だった私は54歳になりました。
来年で死んだ父の年齢に追いつきます。

【中山隆博(その後落合に改姓)40歳前後だと思われます】
落合隆博 タテ