オートフォーカスアイウェア ViXion

投稿者:落合智貴
老眼世代の方は、日々細かい字と格闘されていると思います。
眼鏡をつけたり外したりというのはとても煩わしいものですよね。
HOYAの技術者が独立して作ったベンチャー企業がViXion(ビクシオン)です。
ViXionが開発したオートフォーカス型の眼鏡は、人間の目の水晶体の代わりとなる特殊レンズを搭載。
水と油の層でできた液体の厚みを電気で調節する仕組みになっています。
距離センサーで計った視点の先との距離に応じて特殊レンズを自動調節し、老眼の方でも遠くも近くも自然にピントが合います。
読書など個人使用にも使えますし、最近では歯科医や工芸品の職人さん、機械操作の技術者など、幅広く使われています。
建設業界でも、字の細かい図面を見ながら現場打合せをする場合などに使えるかもしれません。
視野が狭いのが難点でしたが、最近発売された「ViXion2」は従来品の2.4倍に視野が広がりました。

VIXION

“子供のころの目に戻った“という感想をおっしゃる方も多いそうです。
スマホと同じように3時間充電すれば約15時間連続使用できます。
当社で在庫しましたので、デモ機にて体感してみてください。
いつでもご購入可能です。
当社とお取引のない方は【設備ロジス.com】にてご購入ください。

テレビ東京 ブレイクスルーで紹介されました
ブレイクスルー
ホリエモンもユーチューブで絶賛!!
ホリエモン

落合住宅機器の歴史を辿る【創業~昭和29年度(~1954年度)】

投稿者:落合智貴
戦後、GHQの占領下において、日本の新しい国づくりが進められました。
昭和26年9月8日にサンフランシスコ講和条約が吉田茂首相により調印され、昭和27年4月28日に発効されました。当社が設立されたのはこんな時代背景のころです。
サンフランシスコ講和条約

当社の創業者であり私の母方の祖父である落合義作は大正2年1月に埼玉県狭山市で生まれました。
狭山の落合家は江戸時代から続く土地持ちで、造園業などを手掛けておりました。
次男であった義作は親からもらった金で東京の初台に土地を買い、そこを住まいとしました。
その土地が平成31年まで本社だった場所です。
慶応大学経済学部を卒業後、芳沢機工という鉛工事などにかかわる会社に就職。 戦争では兵隊として中国などに行きました。 復員後、証券会社・通産省化学肥料部・小企業の共同経営などを経て、昭和25年11月に独立。
昭和27年2月19日に ㈱落合鉛工業所 を設立したのが現在の当社です。
自宅を会社とし、最初は少人数でスタートしました。
会社の庭先には社員の住込み寮も作り徐々に社員を増やしていきました。
建場(たてば)という一種の「鉄くず問屋」のようなところに行って鉛を購入し、それを鉛管メーカーで製品に替えてもらい、水道工事業者に販売する。そんなことから商売を始めました。
鉛は相場によって価格が上下する為、相場の読みも大事だったようです。
当時の朝鮮戦争の影響で鉛相場が急騰し、大きく儲けたことが創業時の勢いをつける要因になりました。

【会社発足時の定款と公証人役場の認証書が現在も残っています】
【会社発足時の定款と公証人役場の認証書が現在も残っています】

経済産業省 中東情勢関連対策ワンストップポータル

投稿者:落合智貴
イラン紛争によるホルムズ海峡の封鎖が長期化しそうな状況です。
先日はトランプ大統領と習近平国家主席の米中首脳会談が行われましたが、イラン問題解決の糸口は見えてきません。
管工機材業界においても今年の4月中旬以降、塩ビ管・接着剤・架橋ポリエチレン管などの供給不足は1ヶ月続いてしまいました。
サプライチェーンにおける各ポジションで皆様努力されていると思います。
メーカーは原料の供給不足により生産を絞っている状況です。樹脂加工工場は、一度生産を止めてしまうと再開するのに大きなコストがかかるとのことで、少なくても継続的に生産を維持したいそうです。
一次問屋は決して買い占めている訳ではなく、普段の3~4倍来る客先からの発注に対し、優先度の高い実需を選別して出荷してくれています。昨年実績を超える受注は受けられないとのスタンスをとっているところがほとんどですので、我々二次販売店もいつもと違う問屋さんに発注しても断られるケースが多いです。
我々二次販売店は少ない入荷品を緊急度の高い現場にできるだけ納品することが出来るよう尽力しており、特定の商材は倉庫がカラカラです。。
お客様には大変ご不便をおかけしておりますが、ご理解のほどお願い申し上げます。

経済産業省は「中東情勢関連対策ワンストップポータル」を設けています。
現場の状況を報告するフォームもありますので、国に伝えたいことがある方はご利用ください。
ポータルサイトによると、原油の輸入先の93.0%はホルムズ海峡に依存しているとの事。一方LNGは6.3%に抑えられているそうです。
経済安全保障の重要性が表面化したのが今回の事態だと思います。
サイトの中で、「中東情勢等を踏まえた中小企業・小規模事業者向け支援について」というページもあります。商工中金や日本政策金融公庫が融資に関する相談窓口になっているそうです。

経済産業省の赤澤亮正大臣は今回の事態への対応や、賃上げの継続的な実施が重要であるとのメッセージを動画で公表していますのでご覧ください。

赤澤大臣動画
赤澤大臣メッセージ

昭和100年記念式典に参列

投稿者:落合智貴
4月29日の昭和の日、日本武道館にて「昭和100年記念式典」が挙行されました。
大変光栄なことに、東京管工機材商業協同組合の理事長として、経済産業省のお声がけでご招待を頂き、参列させていただきました。
当日は、天皇皇后両陛下のご臨席の元、木原稔内閣官房長官の開式の辞に始まり、国歌斉唱、高市早苗首相の式辞、森英介衆議院議長・関口昌一参議院議長・今崎幸彦最高裁判所長官のご挨拶がありました。

高市首相は式辞で以下のように述べました。
「昭和は戦争・終戦・復興・高度経済成長といった未曽有の変革を経験した時代でした。日本人は歯を食いしばって働き、終戦からわずか10年で日本経済を再び立ち上がらせました。その後果敢な挑戦により世界第2位の経済規模にまで駆け上がります。令和の現在、少子化・人口減少・デフレから物価高への転換・潜在成長率の低迷・戦後最も厳しく複雑な安全保障環境といった課題があります。挑戦しない国には未来はありません。22世紀を迎えたときに『インド太平洋の輝く灯台』として世界から頼りにされる国であるように、『未来は明るい』と自信をもって言える国を創り上げていきたい。」
昭和100年武道館
首相官邸ホームページ

その後海上自衛隊東京音楽隊の演奏により、男女二人による昭和を代表する歌の披露がありました。
・上を向いて歩こう(坂本九)
・赤いスイトピー(松田聖子)
・なごり雪(かくや姫/イルカ)
・時代(中島みゆき)
・Get Wild(TM NETWORK)
・川の流れのように(美空ひばり)

最後の「川の流れのように」の演奏中には、すすり泣く声も会場内から聞こえてきました。
“苦しい時代の中で自分たちは頑張ってきたんだ“と昭和の時代に思いを馳せた人が多かったのかもしれません。
頑張った人にしか味わえない満足感とは、苦労を乗り越えなければ得られないものだと改めて感じました。

昭和100年記念式典

落合住宅機器の歴史を辿る【昭和30~33年度(1955~1958年度)】

投稿者:落合智貴
昭和28年の12月に㈱落合鉛工業所(おちあいなまりこうぎょうしょ)から落合鉛工㈱(おちあいえんこう)に社名変更し、以来昭和45年3月まで16年半の間この社名を名乗っていました。
今では鉛は人体によくないということで、給水管には使われていませんが、当時の水道管は給水・排水共に鉛管が主流でした。
現在では管工機材という言葉であらゆる水回り商材を総合的に扱う販売形態が主流になっています。
しかし昭和20年代当時は鉛管屋、鉄管屋、バルブ屋、水栓屋、ポンプ屋の様に専業店に近い形が多く、販売店のお互いで商品を売り買いしていたようです。
販売の資格が東京都水道局より与えられ、当社も鉛管をスタートに各種指定販売店の資格を取りました。

昭和30年7月 東京都水道局指定鉛管販売店
昭和31年1月 東京都水道局指定銅管・ビニール管販売店
昭和31年4月 鉄管・継手類、バルブコック販売開始
昭和32年5月 水栓器具類及付属品販売開始

水道局に商品を持っていき、商品に認定の刻印を打ってもらうという仕事もあったそうです。
当時の車はオート三輪。
パイプを積むと車がひっくり返ることもあったそうです。

戦後の混乱から少し落ち着き、給水や排水のインフラを早く整えなければならない。
そんな時代の中で、現場に重たい鉛管や水道資材を運ぶ仕事は肉体労働の大変な仕事だったでしょう。
鉛管の専業販売店から管工機材の総合販売店へ移行し、売上を拡大していく。
それが当時の経営課題だったのだと思います。

オート三輪
   【昭和30年代の日本】