昭和100年記念式典に参列

投稿者:落合智貴
4月29日の昭和の日、日本武道館にて「昭和100年記念式典」が挙行されました。
大変光栄なことに、東京管工機材商業協同組合の理事長として、経済産業省のお声がけでご招待を頂き、参列させていただきました。
当日は、天皇皇后両陛下のご臨席の元、木原稔内閣官房長官の開式の辞に始まり、国歌斉唱、高市早苗首相の式辞、森英介衆議院議長・関口昌一参議院議長・今崎幸彦最高裁判所長官のご挨拶がありました。

高市首相は式辞で以下のように述べました。
「昭和は戦争・終戦・復興・高度経済成長といった未曽有の変革を経験した時代でした。日本人は歯を食いしばって働き、終戦からわずか10年で日本経済を再び立ち上がらせました。その後果敢な挑戦により世界第2位の経済規模にまで駆け上がります。令和の現在、少子化・人口減少・デフレから物価高への転換・潜在成長率の低迷・戦後最も厳しく複雑な安全保障環境といった課題があります。挑戦しない国には未来はありません。22世紀を迎えたときに『インド太平洋の輝く灯台』として世界から頼りにされる国であるように、『未来は明るい』と自信をもって言える国を創り上げていきたい。」
昭和100年武道館
首相官邸ホームページ

その後海上自衛隊東京音楽隊の演奏により、男女二人による昭和を代表する歌の披露がありました。
・上を向いて歩こう(坂本九)
・赤いスイトピー(松田聖子)
・なごり雪(かくや姫/イルカ)
・時代(中島みゆき)
・Get Wild(TM NETWORK)
・川の流れのように(美空ひばり)

最後の「川の流れのように」の演奏中には、すすり泣く声も会場内から聞こえてきました。
“苦しい時代の中で自分たちは頑張ってきたんだ“と昭和の時代に思いを馳せた人が多かったのかもしれません。
頑張った人にしか味わえない満足感とは、苦労を乗り越えなければ得られないものだと改めて感じました。

昭和100年記念式典

落合住宅機器の歴史を辿る【昭和30~33年度(1955~1958年度)】

投稿者:落合智貴
昭和28年の12月に㈱落合鉛工業所(おちあいなまりこうぎょうしょ)から落合鉛工㈱(おちあいえんこう)に社名変更し、以来昭和45年3月まで16年半の間この社名を名乗っていました。
今では鉛は人体によくないということで、給水管には使われていませんが、当時の水道管は給水・排水共に鉛管が主流でした。
現在では管工機材という言葉であらゆる水回り商材を総合的に扱う販売形態が主流になっています。
しかし昭和20年代当時は鉛管屋、鉄管屋、バルブ屋、水栓屋、ポンプ屋の様に専業店に近い形が多く、販売店のお互いで商品を売り買いしていたようです。
販売の資格が東京都水道局より与えられ、当社も鉛管をスタートに各種指定販売店の資格を取りました。

昭和30年7月 東京都水道局指定鉛管販売店
昭和31年1月 東京都水道局指定銅管・ビニール管販売店
昭和31年4月 鉄管・継手類、バルブコック販売開始
昭和32年5月 水栓器具類及付属品販売開始

水道局に商品を持っていき、商品に認定の刻印を打ってもらうという仕事もあったそうです。
当時の車はオート三輪。
パイプを積むと車がひっくり返ることもあったそうです。

戦後の混乱から少し落ち着き、給水や排水のインフラを早く整えなければならない。
そんな時代の中で、現場に重たい鉛管や水道資材を運ぶ仕事は肉体労働の大変な仕事だったでしょう。
鉛管の専業販売店から管工機材の総合販売店へ移行し、売上を拡大していく。
それが当時の経営課題だったのだと思います。

オート三輪
   【昭和30年代の日本】