新しい展示場が「浜松町」に誕生

投稿者:落合智貴
東京都立産業貿易センター浜松町館は以前、東京都管工事工業協同組合さん主催の管工機材設備総合展で使われておりましたが、建て替えのためここ数年は浅草の台東館で開催していました。
今年2020年の秋に大規模再開発の末新たにオープンしました。
オープンがコロナ禍と重なってしまい、管工機材設備総合展は中止。イベント数も絞られた中でスタートしたようです。
東京管工機材商業協同組合主催の2021年の管工機材設備総合展はこの新装「浜松町館」で行う予定です。
先日見学してきましたが、2~5階の4フロアが展示会場になっており、40階建ての高層オフィスエリアはソフトバンクグループが入居しているそうです。
2~5階の展示スペースは天井が高く開放感があります。上下の移動はエレベーターのほかエスカレーターもあり、スムーズに行けそうです。各階にレストランエリアがありますので、ご来場者や出店メーカーさんの休憩スペースには問題なさそうです。
いつも課題になる出展者の搬入動線ですが、従来の浜松町館は搬入用エレベーターが2基しかなく大渋滞を起こしていたそうですが、今回は4フロアで4基のエレベーターがあるので改善されました。
そしてなんといってもこの会場のメリットはアクセスの良さ。JR浜松町駅からは徒歩5分。来年(2021年)夏には浜松町駅から屋根付きの歩行者デッキが完成し、雨でもJRから傘を差さずに会場までたどり着けます。
東京ビックサイトも広くて良い会場ですが、アクセスのよい浜松町館の出番がこれから増えてきそうな気がします。
東京都立産業貿易センター 浜松町館
東京都立産業貿易センター浜松町館

落合住宅機器の歴史を辿る【昭和61~63年度(1986~1988年度)】

投稿者:落合智貴
昭和もだいぶ遠い過去になってきました。
当時の竹下内閣は「ふるさと創生」と称して市町村に1億円づつ配る政策をとりました。各自治体は工夫を凝らした使い方を試みましたが、結果はいまいちだったようです。財政難の今では考えられない政策ですね。

当社は昭和27年の創業以来36年間社長を務めてきた落合義作に代わり、昭和63年に落合隆博が二代目社長に就任しました。私の父である隆博は昭和46年、母との結婚を機に当社へ入社し、専務取締役として現場で指揮を執っていました。当初は旧姓の中山専務を名乗っていましたが、昭和59年に落合家の跡取りとして養子縁組し落合専務となりました。

当時の父は入社17年、年齢が48歳と創業者が二代目にバトンを託すのにちょうどよいタイミングだったのだと思います。当時祖父である落合義作は「二代目が会社を伸ばすんだ」と言っておりました。会長に退き、ゴルフや旅行にと悠悠自適の生活を楽しめると感じていたと思います。この時点ではまさか二代目に先立たれるとは思っていなかったでしょう。
私は当時高校生。高校野球に打ち込んでいました。自分が三代目であることを薄々意識しだしたのがこの頃だったのかもしれません。

【前列右から2番目が初代義作、後列左が二代目隆博、その右が三代目筆者(18歳)】
親子3代6人

父は自分なりのやり方で会社を良くしていこうと意欲に燃えていたのだと思います。お客様を大事にする精神、社員を大事にする精神を大切にしていました。父が社長を務めた7年間は当社の歴史の中でも最も業績の良い時代でした。この頃は年間売上が9億円以上で、経営は安定軌道に乗っていたと思います。今となっては大変うらやましい繁栄の7年間でした。

菅義偉 という人物

投稿者:落合智貴
安倍首相の辞任を受けて行われた自民党総裁選で菅義偉氏が選ばれ、第99代内閣総理大臣に就任しました。内閣支持率は70%を超え上々の滑り出しかと思いましたが、日本学術会議任命問題では様々な議論が行われています。
菅首相は総裁選の出馬会見でも述べていた通り、秋田の雪深い農村の出身です。高卒後に東京にでて、段ボール工場で住み込みで働くなどした後、法政大学法学部に入学し、空手部に所属。電気設備会社の勤務の後、小此木彦三郎衆議院議員の秘書を経て横浜市議会議員になったのが政治家としての入り口でした。

菅首相は今までにないタイプの総理大臣ではないかと思います。従来の自民党総裁選は、派閥の領袖である、影の実力者の操り人形など、醜い権力の争いが垣間見える世界だったと思います。なりたい人がたくさんいる中で、やらないと繰り返し発言していた菅氏が首相になったのは異例です。
菅氏は安倍政権の官房長官として人事権を掌握して官僚をしっかりとコントロールしました。安倍政権で“忖度”志向になっていったのもこのせいかもしれません。規制改革などは強い力を持っていないと進められません。派手さはないが、コツコツと成果を出し、私利私欲を感じさせないところも周りの政治家から大きな信頼を勝ち得た要因だと思います。
菅義偉
松田賢弥著「したたか 総理大臣・菅義偉の野望と人生(講談社文庫)」は2015年までの菅氏の道のりが書かれています。厳しい寒さの中で育ち、労働者として下積みも積んだことが世の中をよくしたいと思うパワーになったのだと思います。梶山静六や安倍晋三を首相にするために裏方として奔走した姿は、自分が正しいと信じる道を実直に進んでいく気質がよくわかります。デジタル化の推進など具体的な方針も見えてきました。首相として大局を見据えた手腕を期待したいと思います。

さよなら! 初台落合ビル

投稿者:落合智貴
昨年(2019年)7月に初台から江古田に本社を移転し、旧本社の落合ビルはその後売却しました。1階の当社使用部分と2~7階の賃貸マンション「ベルフラワーコーポ」は2020年9月末まで賃貸契約が残っていたため、解体・建替は2020年10月以降になることは当初から決まっていました。
落合ビル外観
落合ビル・ベルフラワーコーポは昭和48年(1973年)に建築され、47年が経過しました。旧耐震の建物であり、当時の給排水はSGP白ガス管でしたので配管のメンテナンスもコストが掛かっていました。2階以上の住居部分に行くのに階段を上らなければいけないなど、バリアフリーにも対応しておらず、ここらが限界ではないかとの判断が建替に至った理由です。この10月から解体が始まり、今後は東京建物様の賃貸マンションに生まれ変わる予定です。

【1階の旧事務所は何も残っていません】
落合ビル内観
マンション名にある“ベルフラワー”は落合家の家紋である桔梗(ききょう)の英名です。今放送中のNHK大河ドラマ「麒麟が来る」では明智家の家紋が桔梗であると描かれています。また、先日のTBSドラマ「半沢直樹」では半沢の妻役の上戸彩さんが白井大臣役の江口のりこさんの胸に桔梗の花を挿してあげるシーンがあり、「桔梗の花言葉は“誠実”です」と告げていました。その後白井大臣は柄本明さん扮する箕部幹事長に引導を渡すことになりますが、制作者は織田信長に引導を渡した明智光秀とダブらせたかったのかもしれません。

47年間お世話になった建物に感謝しつつ、今後も江古田社屋で”誠実”に会社を経営し、未来に向かって頑張りたいと思います。
【47年前の初代・落合義作、2代目・隆博 現在の3代目・智貴】
社長と専務 落合ビル2階

落合住宅機器の歴史を辿る【平成元~2年度(1989~1990年度)】

投稿者:落合智貴

昭和天皇が崩御し、小渕恵三官房長官が「平成」の文字を発表し元号が変わりました。令和となった今ではその出来事もすでに歴史の一コマと言えるかもしれません。竹下内閣は自民党念願の消費税の導入を平成元年4月に成し遂げました。当初の消費税は3%。10%まで上がっている今となっては小さい税率に感じますが、消費税導入に当たっては世論の反対も大きく、私にとって政治が生活に密着しているものだと初めて実感した出来事でした。そして、リクルート事件が発覚し、大物政治家が次々と未公開株を受け取っていたことが分かり、政治不信の影響から竹下内閣は退陣し、宇野宗佑首相が誕生します。しかし女性問題から2か月で退陣し、よりクリーンなイメージの海部俊樹内閣に代わります。

経済の方は株価や土地価格がどんどんと上昇を続け、日本が世界に冠たる経済大国であることを自他ともに認め、海外の不動産や会社を買収するようになりました。日本に対するバッシングが起こるようになったのもこの頃だと思います。

私の父 落合隆博は昭和63年に二代目社長に就任しバブル経済の時流に乗って好業績を残していました。平成2年度の経常利益は4233万円と過去最高。この頃の父は毎年4月になると決算書を作るのが楽しくてしょうがないと嬉しそうにしていました。お客様をゴルフや旅行にご招待し、皆で利益を分け合っていた。そんな良き時代だったと思います。

【松下電器MACS PLAZAを落合会で見学したときの様子】

 

ワークマンの躍進

投稿者:落合智貴
作業服の販売で昔から有名なのがワークマンです。2018年に「ワークマンプラス」1号店をららぽーと立川立飛にオープンさせてからさらに飛躍し、今ではマスコミで何かと話題になっています。
【ワークマンプラス 立川立飛店】とにかく安いです!!
ワークマンプラス立川立飛店

改革の立役者となったのが創業家出身の土屋哲雄専務です。哲雄氏は三井物産を定年退職後に2012年に入社しました。
ワークマンのもともとの強みは標準化とローコスト経営でした。品ぞろえや業務はすべてマニュアル化されており、超少数精鋭体制で無駄な販管費を使わないことが徹底されていたそうです。
土屋哲雄氏が従来のワークマンの強みに加えたのが、データ経営と商品開発の強化です。ワークマンの多くの店舗はフランチャイズオーナーによって運営されていますが、売れ筋商品を自動発注できる仕組みを構築。またユニクロやニトリのようなSPA企業を見据えた商品開発では、SNSで影響力のあるインフルエンサーに商品開発に加わってもらうなど顧客視点の商品開発を徹底しました。これらを武器に、従来のターゲット層である職人だけでなく、一般顧客が入店しやすい「ワークマンプラス」では品ぞろえを変えずに、カンバンや展示方法を変えることでカジュアル需要も取り込むことに成功しました。
一見成熟産業に見える業態でも工夫の余地は無限にあることを教えられました。

【酒井大輔著「ワークマンはなぜ2倍売れたのか」日経BP社 が注目されています】
ワークマン本

棚番号管理を導入

投稿者:落合智貴
初台から現在の江古田に移転した際に、倉庫の棚を一新しました。
初台では古い管材店によくあるベニア板で組み立てた棚をメインに使っていました。
現在はスチール棚を新設し、整然と商品を配置できるようになりました。

移転後一年が経過しましたがこの度「棚番号」管理を開始しました。
アルファベットの棚番号と縦横の数字を組み合わせてすべての棚に番号を振りました。
商品のピッキングに使う受注伝票にも商品ごとの棚番号を表示することが出来ます。

先日のこのブログでもご案内しましたが、8~9月に国際短期大学の学生さん3名にインターンシップとして仕事をしていただきました。
その際に役に立ったのがこの「棚番号」です。
学生さんにはコンピューター上の在庫数と実際の在庫数の差異を確認するために、実地棚卸をお願いしたのですが、棚番順に並んだ商品リストを印刷して頂き、商品の場所を説明しなくてもほぼ数えることが出来ました。

新人でもすぐに保管場所が分かる体制が出来たのは、今後の社員採用・育成にも有効だと思います。少しずつですが今後も社内管理体制を整えていきたいと思います。
棚番号

落合住宅機器の歴史を辿る【平成3~4年度(1991~1992年度)】

投稿者:落合智貴
この頃はまさにバブル絶頂期。当社の売り上げは平成3年度に12億4741万円を達成し、この年が当社史上最高売り上げとなっています。
昭和42年より「落合ナショナル店会」として松下電器産業と当社とお得様を会員とする会で活動をしておりました。この24年の歴史に幕を閉じ、松下電器以外の仕入れ先を入れた新生「落合会」に会を変更したのが平成3年9月です。さらに会を発展させようとお客様を旅行にご招待したりしていました。
また、落合ゴルフ会として東京読売カントリークラブでゴルフコンペを毎年開催していました。名門東京読売でプレーできるということで、お客様や仕入先の皆様には今でも懐かしがる方もいらっしゃいます。

政治の世界では海部内閣から引き継いだ宮沢内閣は、湾岸戦争における日本の経済協力が世界から評価されなかったことを受けて「PKO協力法」を成立させました。
しかし東京佐川事件など政治不信の高まりが自民党に対する不信につながり、自民党が下野する結果になります。

この頃は高度経済成長のゴールといえるのではないかと思います。
貧しい日本がお金持ちになり、多くの人が中流意識を持って豊かに生活できる国になった。多くの人がそう実感できたのだと思います。
株や土地で大儲けをする人も増えて銀座などの繁華街は大騒ぎだったようですね。
一方、当時私はまだ大学生。バブルの喧騒を横目に、住み込みの新聞配達をしていました。

【平成3年10月 社員旅行の様子 善光寺】
【平成3年10月 社員旅行の様子 善光寺】

 

安倍首相の辞任

投稿者:落合智貴
おととい(8月28日)に安倍晋三首相が自身の病気を理由に辞任を表明しました。
首相在任期間は第二次政権だけでも7年8ケ月に及び、連続・通算のいずれにおいても日本憲政史上最長となりました。
日本の総理大臣はどんな判断を下しても批判されますし、判断を下さずに問題を先送りしても批判される大変厳しい立場です。肉体的・精神的な負担は並々ならぬものであり、それを7年以上続けたのは大変な苦労であったと思います。
森友・加計・桜を見る会など批判もありますが、いずれも安倍首相が私腹を肥やす為とか自身の欲望の為に行ったこととは思えず、常に日本の為を思って行動・発言を心掛けてきた人物ではなかったかと思います。
国のトップの最大の責任は、貧困で亡くなる人を防ぐセーフティーネットをしっかりと確保することと、結果として戦争を起こさないことではないかと思います。
方法論としては色々とあると思いますが、結果として戦後75年間戦争を起こさず、経済発展を遂げてきたことを考えると、戦後の日本政治は及第点と言えるのではないでしょうか。
報道を見ていますと、世論は政治や首相に頼りすぎている印象があります。うまくいかないことは何でも政治のせいにするのではなく、民間や個人レベルで自らが努力する姿勢を皆がもっと持つことが必要ではないでしょうか。
安倍首相辞任

大塚商会の導入事例に当社が掲載されました

投稿者:落合智貴
当社の販売管理ソフトやIT全般でお世話になっているのが大塚商会さんです。
この度大塚商会さんのホームページに当社の導入事例が紹介されました。
落合住宅機器導入事例
2000年(平成12年)に販売管理ソフト「スマイルα」を導入してから当社の在庫管理のコンピューター化が始まりました。その後在庫発注のルールを整備し、見積-受注-売上までの計上をこのソフトを通じて行う流れが定着しました。
さらに、仕入商品がいつ入荷し、どこのお客様に配達するのかを明示する紙が出力できるようにカスタマイズしたり、仕入れているのに売上が計上されていない商品をリストアップするなど当社独自の変更も対応して頂きました。
昨年の本社移転に際してはWi-Fi環境を整えたりLAN配線を整備することに加え、複合機・デスク・収納・倉庫棚なども大塚商会さんと一緒に検討しました。

私のインタビューを中心とした動画も作成頂きましたので、是非ご覧ください。(コチラ)
大塚商会導入事例