落合住宅機器の歴史を辿る【昭和30~33年度(1955~1958年度)】

投稿者:落合智貴
昭和28年の12月に㈱落合鉛工業所(おちあいなまりこうぎょうしょ)から落合鉛工㈱(おちあいえんこう)に社名変更し、以来昭和45年3月まで16年半の間この社名を名乗っていました。
今では鉛は人体によくないということで、給水管には使われていませんが、当時の水道管は給水・排水共に鉛管が主流でした。
現在では管工機材という言葉であらゆる水回り商材を総合的に扱う販売形態が主流になっています。
しかし昭和20年代当時は鉛管屋、鉄管屋、バルブ屋、水栓屋、ポンプ屋の様に専業店に近い形が多く、販売店のお互いで商品を売り買いしていたようです。
販売の資格が東京都水道局より与えられ、当社も鉛管をスタートに各種指定販売店の資格を取りました。

昭和30年7月 東京都水道局指定鉛管販売店
昭和31年1月 東京都水道局指定銅管・ビニール管販売店
昭和31年4月 鉄管・継手類、バルブコック販売開始
昭和32年5月 水栓器具類及付属品販売開始

水道局に商品を持っていき、商品に認定の刻印を打ってもらうという仕事もあったそうです。
当時の車はオート三輪。
パイプを積むと車がひっくり返ることもあったそうです。

戦後の混乱から少し落ち着き、給水や排水のインフラを早く整えなければならない。
そんな時代の中で、現場に重たい鉛管や水道資材を運ぶ仕事は肉体労働の大変な仕事だったでしょう。
鉛管の専業販売店から管工機材の総合販売店へ移行し、売上を拡大していく。
それが当時の経営課題だったのだと思います。

オート三輪
   【昭和30年代の日本】