ワークマンの躍進

投稿者:落合智貴
作業服の販売で昔から有名なのがワークマンです。2018年に「ワークマンプラス」1号店をララポート立川立飛にオープンさせてからさらに飛躍し、今ではマスコミで何かと話題になっています。
【ワークマンプラス 立川立飛店】とにかく安いです!!
ワークマンプラス立川立飛店

改革の立役者となったのが創業家出身の土屋哲雄専務です。哲雄氏は三井物産を定年退職後に2012年に入社しました。
ワークマンのもともとの強みは標準化とローコスト経営でした。品ぞろえや業務はすべてマニュアル化されており、超少数精鋭体制で無駄な販管費を使わないことが徹底されていたそうです。
土屋哲雄氏が従来のワークマンの強みに加えたのが、データ経営と商品開発の強化です。ワークマンの多くの店舗はフランチャイズオーナーによって運営されていますが、売れ筋商品を自動発注できる仕組みを構築。またユニクロやニトリのようなSPA企業を見据えた商品開発では、SNSで影響力のあるインフルエンサーに商品開発に加わってもらうなど顧客視点の商品開発を徹底しました。これらを武器に、従来のターゲット層である職人だけでなく、一般顧客が入店しやすい「ワークマンプラス」では品ぞろえを変えずに、カンバンや展示方法を変えることでカジュアル需要も取り込むことに成功しました。
一見成熟産業に見える業態でも工夫の余地は無限にあることを教えられました。

【酒井大輔著「ワークマンはなぜ2倍売れたのか」日経BP社 が話題になっています】
ワークマン本

棚番号管理を導入

投稿者:落合智貴
初台から現在の江古田に移転した際に、倉庫の棚を一新しました。
初台では古い管材店によくあるベニア板で組み立てた棚をメインに使っていました。
現在はスチール棚を新設し、整然と商品を配置できるようになりました。

移転後一年が経過しましたがこの度「棚番号」管理を開始しました。
アルファベットの棚番号と縦横の数字を組み合わせてすべての棚に番号を振りました。
商品のピッキングに使う受注伝票にも商品ごとの棚番号を表示することが出来ます。

先日のこのブログでもご案内しましたが、8~9月に国際短期大学の学生さん3名にインターンシップとして仕事をしていただきました。
その際に役に立ったのがこの「棚番号」です。
学生さんにはコンピューター上の在庫数と実際の在庫数の差異を確認するために、実地棚卸をお願いしたのですが、棚番順に並んだ商品リストを印刷して頂き、商品の場所を説明しなくてもほぼ数えることが出来ました。

新人でもすぐに保管場所が分かる体制が出来たのは、今後の社員採用・育成にも有効だと思います。少しずつですが今後も社内管理体制を整えていきたいと思います。
棚番号

落合住宅機器の歴史を辿る【平成3~4年度(1991~1992年度)】

投稿者:落合智貴
この頃はまさにバブル絶頂期。当社の売り上げは平成3年度に12億4741万円を達成し、この年が当社史上最高売り上げとなっています。
昭和42年より「落合ナショナル店会」として松下電器産業と当社とお得様を会員とする会で活動をしておりました。この24年の歴史に幕を閉じ、松下電器以外の仕入れ先を入れた新生「落合会」に会を変更したのが平成3年9月です。さらに会を発展させようとお客様を旅行にご招待したりしていました。
また、落合ゴルフ会として東京読売カントリークラブでゴルフコンペを毎年開催していました。名門東京読売でプレーできるということで、お客様や仕入先の皆様には今でも懐かしがる方もいらっしゃいます。

政治の世界では海部内閣から引き継いだ宮沢内閣は、湾岸戦争における日本の経済協力が世界から評価されなかったことを受けて「PKO協力法」を成立させました。
しかし東京佐川事件など政治不信の高まりが自民党に対する不信につながり、自民党が下野する結果になります。

この頃は高度経済成長のゴールといえるのではないかと思います。
貧しい日本がお金持ちになり、多くの人が中流意識を持って豊かに生活できる国になった。多くの人がそう実感できたのだと思います。
株や土地で大儲けをする人も増えて銀座などの繁華街は大騒ぎだったようですね。
一方、当時私はまだ大学生。バブルの喧騒を横目に、住み込みの新聞配達をしていました。

【平成3年10月 社員旅行の様子 善光寺】
【平成3年10月 社員旅行の様子 善光寺】