投稿者:落合智貴
私の父であり、当社二代目社長の落合隆博が亡くなったのが今から30年前の平成7年(1995年)6月4日でした。
父は昭和14年(1939年)に静岡県で中山家の三兄弟の長男として生まれました。
子供のころは戦争中で、空襲の時には防空壕に入っていたと言っていました。
長嶋茂雄に憧れて立教大学社会学部に進み、就職は東洋火災海上保険(現在のセコム損害保険)。
数学が得意で保険の商品開発を担当していました。
三兄弟の中山家と三姉妹の落合家は父親どうしが大学の同級生だった関係で家族ぐるみの付き合いをしており、父と母は結ばれました。
結婚を機に東洋火災を退職し、落合住宅機器に専務として入社。創業者で義理の父にあたる落合義作(私の祖父)と一緒に会社の陣頭指揮を執っていました。
昭和59年(1984年)に養子縁組により落合性に改姓。昭和63年(1988年)に当社二代目社長に48歳で就任します。
社長就任以来、バブル景気に乗って業績は最高売上を更新し続けます。しかしバブル崩壊の予兆が見えだしたころ体調を崩し手術に至ります。病気発症から1年半後に55歳でこの世を去りました。
私が三代目を継いで30年。
父が55歳で死んでいなかったら、落合住宅機器はどうなっていたか?
私の人生はどうなっていたか?
いつもそんなことを考えながら過ごしてきました。
父が亡くなったとき24歳だった私は54歳になりました。
来年で死んだ父の年齢に追いつきます。