投稿者:落合智貴
今年は1995年3月20日に「地下鉄サリン事件」が起きてから30年となります。
オウム真理教が、霞ヶ関駅に向かう日比谷線・千代田線・丸の内線の電車内の計5か所にビニール袋に入ったサリンを持ち込み、有毒ガスを発生させ、12名死亡、約6300人が負傷したという前代未聞の事件でした。
私は当時、都営新宿線で馬喰横山駅まで通勤しており、幸い被害にあうことはありませんでしたが、勤務先の近くの小伝馬町駅での被害者数が最も多く、駅の地上で救護にあたる救急・消防・警察などの姿を目の当たりにしました。会社の人事担当者が、社員の安否確認に追われている様子も記憶しています。誰が被害者になってもおかしくなかった当時の様子を思い出すと今でもゾッとします。阪神淡路大震災から2か月。バブルの崩壊も現実味を帯びてきた時期で、「平成」という時代は“いままでと何か違うぞ”という悪い予感を感じました。
先日公安調査庁は「オウム真理教問題デジタルアーカイブ」を開設しました。
地下鉄サリン事件当日の警視庁の無線指令音声が公開されており、刻々と入ってくる情報に対応する警察の生々しい音声を聞くことが出来ます。
そのほか当時の写真を交えた解説や、被害者遺族によるインタビューなど、薄れていた記憶を呼び戻す貴重な情報が詰まっています。
頭脳優秀な若者が、自分の存在意義を見失い、新興宗教に吸い込まれてしまった。
戦後復興という、がむしゃらな時代が終わり、日本人が次に目指すべきものが分からなくなってしまったという時代背景がオウムを生んだのかもしれません。
「令和」となった今、我々はどこに自分の存在意義を見出していくべきなのでしょうか?