落合住宅機器の歴史を辿る【昭和49~51年度(1974~1976年度)】

投稿者:落合智貴
第一次、第二次オイルショックの影響を受けたのがこの頃です。
トイレットペーパーをスーパーで奪い合う当時のシーンをテレビなどで見ることがありますが、石油の値上がりによって管材業界で特に大きな影響を受けたのがビニール管の供給です。
ビニール管の買い占めや売り渋りなどが発生し、商売倫理が問われた事件でした。
お客様に「オイルショックの時に売ってくれた」と感謝されるか、「オイルショックの時に売ってくれなかった」といつまでも悪口を言われるか。おそらく業界各社でいろんな反省があったのだろうと思います。

【当時の正月の集合写真】

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落合忠氏と藤原氏
当社は松下電器産業の代理店としての地位を大切にし、高度経済成長の波に乗って着実に売り上げを伸ばしていました。昭和51年度の売上は初めて6億を超えました。当時の通貨価値を考えると今の6億円よりはもっと忙しかったんだと思います。

松下幸之助
写真は松下電器産業の代理店会「昭和51年度ナショナル住設共栄会」でのものです。
前列中央にはパナソニックの創業者であり「経営の神様」とも称される松下幸之助氏。
最後列中央の背の低い人が当社の落合義作社長です。
歴史上の人物と一緒に写った貴重な写真です。

野方警察署協議会の委員に就任

投稿者:落合智貴
日本の警察は様々な事件対応や警備に日々尽力していますが、平成11年に起こった桶川ストーカー殺人事件において適切な対応を取らなかった事案の他、警察不祥事が多発した時期があったそうです。そこで有識者会議を開き、警察運営のあり方を協議した結果、様々な対策がとられ、その一環で設置されたのが「警察署協議会」です。
警察署協議会は、警察署長が警察署の業務運営に地域住民の声を反映させるため、警察署の業務について説明し、地域の方々の意見や要望を聞くとともに、理解と協力を得る場として、平成13年6月に設置されました。都内の全警察署(102署)で運営されているそうです。

野方警察署協議会
当社が渋谷区から中野区の野方警察署管内に移転したのは4年前の令和元年でしたが、その後時々野方警察署の方がお見えになり、世間話程度のお付き合いをしておりました。
警察署協議会の委員は、各警察署の管轄区域内に居住又は勤務する方で、委員の職務を遂行するに足る人格、識見を有し、地域の安全に関する問題について熱意を有する方各署5から10名で構成されています。
今回私はこの協議会委員に選ばれ、先日第一回の委員会に参加してきました。
協議会委員は東京都公安委員会から委嘱され、任期は2年で、1回に限り再任されることができます。
参加されている委員の面々は、地域の町会長さんやPTA会長経験者、防犯協会会長やお寺の住職など様々な方がいるようです。
中野区における殺人や強盗、交通事故などは決して少ないものではなく、地域の不安を代弁するこの委員会の役割は大きそうです。

会社運営にまつわる犯罪というのは、古くは商品を大量に購入して転売し、お金を支払わずに行方をくらます“取り込め詐欺”の類。最近ではサイバー攻撃の類などがあります。
私は会社運営の視点からの意見発信が出来ればと思っております。
いずれにしても警察署と日頃からお話ができる関係性があるというのは大変心強いです。
せっかくの機会ですのでこの経験を生かしていけたらと思います。

日曜の夜ぐらいは・・・

投稿者:落合智貴
毎週日曜夜10時からテレビ朝日系で放送中の「日曜の夜ぐらいは」を観ています。
主人公の3人の女性はそれぞれ少し不遇で、人生をあきらめかけているような日々を過ごしていました。
その三人がラジオ番組企画のバスツアーに参加し、今まで感じたことのない楽しい友情関係を経験します。
その三人が買った宝くじで思いがけず3000万円が当たり、3人でカフェを開くことを決めたのが前回までのお話でした。

日曜の夜ぐらいは

ドラマチックな事件が起きるわけではないのですが、不遇だった三人が小さな幸せを積み重ねていく姿を見ているとこちらも幸せな気分になります。
自分の置かれた境遇やうまくいかない生活になんとなく無力感を感じている人も多いのではないでしょうか。
漫然と日々を過ごすのではなく、小さくてもいいから夢を持つ。
そして仲間と一緒に夢を目指していく人生というのは素敵だと思います。
ドラマを観て“月曜から頑張ろうかな“と多くの人が思えたらいいですね!!

落合住宅機器の歴史を辿る【昭和52~54年度(1977~1979年度)】

投稿者:落合智貴
巨人の王貞治が756号ホームランを打ったのが昭和52年(1977年)でした。その頃は夜のテレビと言えば巨人戦を見ていた家庭が多かったのでしょう。職場でも前夜の巨人戦の話題が多かったのだと思います。当社でも松下電器産業とその代理店で草野球のリーグ戦をやっていました。私も小学生のころよく父がピッチャーをやっているその試合を応援に行きました。当時は社員の平均年齢も若く、野球チームができたんですね。今では9人そろえるのは至難の業です。

【落合住宅機器のユニフォームはこんな感じでした】
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【当時の落合義作社長 初台旧本社の社長室】
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当社は昭和48年に本社を建替え、新しい事務所での仕事に慣れてきた頃でしょうか。
当時の写真をみるとモノが少ないと感じます。パソコンもなく書類も少なくスッキリした印象があります。電話も全員にはなかったかもしれません。50年近くの時間が流れ、仕事の仕方も大きく変わったことを実感します。