投稿者:落合智貴
セブン&アイ・ホールディングスの名誉会長で創業者の伊藤雅俊氏の人生をつづった「伊藤雅俊 遺す言葉(セブン・&アイ出版)」を読みました。
大正13年生まれの伊藤氏は三菱鉱業の勤務を経て、戦争中に徴兵され、特攻の訓練を受けている途中に運良く終戦を迎えます。戦後、東京・千住で母と異父兄が切り盛りしていた洋品店「羊華堂」を手伝います。伊藤氏は自らを複雑な家庭環境で育ったと述べており、母の3度目の結婚で生まれた伊藤氏には父の異なる兄弟がいました。その中でも、自分の事は顧みず他人に尽くした母親への思いと、父親代わりとなって自分を学校に行かせてくれ、商売の基本を教えてくれた異父兄の譲氏に対する思いは一際強いものがあります。兄の譲が44歳で急死したことをきっかけに株式会社ヨーカ堂を昭和33年に設立し、初代社長に就任します。
伊藤氏の言葉からは端々に“人への感謝”がつづられています。戦後の混乱期の中では人の力を借りなければならないことも多く、複雑な家庭環境の中で争いにならないように道筋をつけてくれた同業者の恩人もいたそうです。“感謝”と“謙虚”が伊藤氏の考え方のベースになっているように感じます。
私が大学生だった平成初期のころ、財務会計の授業で事例として取り上げられたのが、「フロー経営のイトーヨーカ堂」と「ストック経営のダイエー」でした。借金を抑えて利益を重視するヨーカ堂と、借入によるレバレッジを効かせて不動産を増やしていくダイエーは、成功した同じ小売業にもかかわらず考え方が正反対である事例でした。その後ダイエーはバブル崩壊の波にあらがえず衰退していくわけですが、フロー経営のヨーカ堂の考え方には貧しいころの伊藤氏の借金嫌いから来ていたことをこの本を読んで初めて知りました。
巻末の元日経新聞の末村篤氏の解説は秀逸でした。伊藤氏は総会屋問題で退任しなければならなかったことについては多くを語らず、心を痛めているようです。セブンイレブンを大きくしていった鈴木敏文氏との関係も多くは語らず経営を任せていったとの記述があります。情の伊藤氏が理の鈴木氏を静かに見守ったからこそセブンイレブンやセブン銀行などの新規業態がうまくいったのだと思います。鈴木氏も”個性的なダイエー中内さんや西武の堤清二さんだったら自分は三日と持たなかっただろう”と語っているそうです。
伊藤雅俊氏の人生は、俺が俺がの経営ではなく、理念を重んじ、若い世代を陰から見守る、いかにも日本的な“和の精神”を体現したものだったように思います。