落合住宅機器の歴史を辿る【平成元~2年度(1989~1990年度)】

投稿者:落合智貴
昭和天皇が崩御し、小渕恵三官房長官が「平成」の文字を発表し元号が変わりました。令和となった今ではその出来事もすでに歴史の一コマと言えるかもしれません。竹下内閣は自民党念願の消費税の導入を平成元年4月に成し遂げました。当初の消費税は3%。10%まで上がっている今となっては小さい税率に感じますが、消費税導入に当たっては世論の反対も大きく、私にとって政治が生活に密着しているものだと初めて実感した出来事でした。そして、リクルート事件が発覚し、大物政治家が次々と未公開株を受け取っていたことが分かり、政治不信の影響から竹下内閣は退陣し、宇野宗佑首相が誕生します。しかし女性問題から2か月で退陣し、よりクリーンなイメージの海部俊樹内閣に代わります。

経済の方は株価や土地価格がどんどんと上昇を続け、日本が世界に冠たる経済大国であることを自他ともに認め、海外の不動産や会社を買収するようになりました。日本に対するバッシングが起こるようになったのもこの頃だと思います。

私の父 落合隆博は昭和63年に二代目社長に就任しバブル経済の時流に乗って好業績を残していました。平成2年度の経常利益は4233万円と過去最高。この頃の父は毎年4月になると決算書を作るのが楽しくてしょうがないと嬉しそうにしていました。お客様をゴルフや旅行にご招待し、皆で利益を分け合っていた。そんな良き時代だったと思います。

【松下電器MACS PLAZAを落合会で見学したときの様子】

 

大阪に行ってきました!

投稿者:落合智貴
2025年9月10~12日にインテックス大阪で開催された管工機材設備総合展OSAKA2025に行ってきました。
大阪市内から電車で約40分のところにあるインテックス大阪に行くのは初めてでした。
8月に開催した東京の管工機材設備総合展では順路方式でしたが、大阪では碁盤の目方式になっています。
事前登録のWEBページは大変わかりやすく、プリントアウトされる入場証も字が大きくて見やすく、業種別に色分けされているところも良いと思いました。
入場証をプリントアウトしてこなかったお客様にもスマホのバーコードを見せればすぐにプリントアウトされますので入場がスムーズです。
東京の展示会でもぜひマネしたいと思いました。
セミナーも充実しており、メーカーさんのセミナーに加え、人間酷似型ロボットで有名な石黒浩氏の講演や、学生向けセミナーとしてクイズ王の伊沢拓司氏の講演もあります。
出展コマ数でも東京を上回っており、見習う点が多いと思いました。

【開場式にて 木澤理事長の挨拶】
大阪管工機材展2025

せっかく大阪に行ったので万博も見てきました。
人気のブースは予約が全部ハズレてしまい、大屋根リングを一周して小さなパビリオンをいくつか見て帰りました。
とにかく暑かったです。

【大阪万博は大盛況でした】
大阪万博

映画「国宝」

投稿者:落合智貴
管工機材業界の大先輩に勧められて、映画「国宝」を見てきました。
渡辺謙さん演じる歌舞伎界の大御所の子として生まれた横浜流星さんと、暴力団の親分の息子で歌舞伎の家に引き取られた吉沢亮さんが、歌舞伎界の女形として成長していく物語です。
何よりも凄かったのが、すでに人間国宝になっている女形役の田中泯さんを含め、もともと歌舞伎役者ではない役者さんが見事に歌舞伎を演じている所です。
相当な稽古を積んだに違いないことが明らかに分かりました。

映画を見る方の立場によって、心に残るポイントは様々だと思います。
私が考えたポイントは3つです。

1, 自分が生まれた境遇をどう考えるか?
御曹司として順風に見える人にも葛藤があります。プレッシャーと感じる人もいれば、不自由を感じる人もいるでしょう。
逆に他人から見れば御曹司として生まれればどれだけ楽だったかと考える人も多いと思います。
2, 親としての目線
自分の息子とそうでない子がいた場合、どちらに期待をかけ、どちらに厳しく接するか。
厳しく接した場合に脱落してしまうリスクをどこまで許容するか。
3, 個人の目標と家族の幸せのバランス
個人の目標を家族が心から応援してくれる場合ばかりではないと思います。
世間から成功者と目される人が必ずしもプライベートで幸せとは限らないケースは多いように思います。

歌舞伎のような厳しい世界ではありませんが、中小企業の事業継承でも同じような葛藤を経験することがあると思います。親から自分への継承、そして自分から子への継承。その他の選択肢も考えなければなりません。
優先順位をどうつけていくか?
その選択自体が自分の“生き様“そのものであるように思います。

映画国宝

落合住宅機器の歴史を辿る【平成3~4年度(1991~1992年度)】

投稿者:落合智貴
この頃はまさにバブル絶頂期。当社の売り上げは平成3年度に12億4741万円を達成し、この年が当社史上最高売り上げとなっています。
昭和42年より「落合ナショナル店会」として松下電器産業と当社とお得様を会員とする会で活動をしておりました。この24年の歴史に幕を閉じ、松下電器以外の仕入れ先を入れた新生「落合会」に会を変更したのが平成3年9月です。さらに会を発展させようとお客様を旅行にご招待したりしていました。
また、落合ゴルフ会として東京読売カントリークラブでゴルフコンペを毎年開催していました。名門東京読売でプレーできるということで、お客様や仕入先の皆様には喜ばれていました。

政治の世界では海部内閣から引き継いだ宮沢内閣は、湾岸戦争における日本の経済協力が世界から評価されなかったことを受けて「PKO協力法」を成立させました。
しかし東京佐川事件など政治不信の高まりが自民党に対する不信につながり、自民党が下野する結果になります。

この頃は高度経済成長のゴールといえるのではないかと思います。
貧しい日本がお金持ちになり、多くの人が中流意識を持って豊かに生活できる国になった。多くの人がそう実感できたのだと思います。
株や土地で大儲けをする人も増えて銀座などの繁華街は大騒ぎだったようですね。
一方、当時私はまだ大学生。バブルの喧騒を横目に、住み込みの新聞配達をしていました。

【平成3年10月 社員旅行の様子 善光寺】
善光寺