落合住宅機器の歴史を辿る【序章】

投稿者:落合智貴
落合住宅機器は1950年(昭和25年)に創業。
会社を創立したのは1952年(昭和27年)の2月19日です。
私が入社し、三代目社長になったのは1995年(平成7年)ですから、45期目にあたります。
この「落合住宅機器の歴史を辿る(たどる)」シリーズでは創業から現代にいたるまでの当社の歴史を写真を交えながら振り返るものです。

初代の祖父が会社を立ち上げた思い。
二代目の父が婿養子として社長に就任した経緯。
三代目の私が何故若くして社長に就任しなければならなかったのか。
70年近く会社を支えてきた社員たちの頑張り。
そんなことを振り返ります。
2022年(令和4年)2月19日に創立70周年を迎えた当社がどのような歴史を辿ってきたのかを記録しています。

次の写真をご覧ください。

右から二番目が当社の創業者で私の母方の祖父落合義作。その左が私の父方の祖父中山隆一。この二人の出会いが今の私の存在につながっています。私が二人の関係を初めて意識したのが中山の祖父のお葬式の時でした。落合の祖父が男泣きをしているのを見て「二人のおじいちゃん達は親友だったんだ」と初めて理解しました。二人は慶応義塾大学の同級生でした。落合の祖父は私に対し「おまえは落合と中山の合作だ」と嬉しそうに話していたことがありました。70年の歴史をこのシリーズを使ってお伝えしていますので、じっくりご覧下さい。

大塚商会グットパートナー交流会2023 参加

投稿者:落合智貴
IT関連のハードや販売管理ソフトなどでお世話になっているのが大塚商会さんです。
当社は大塚商会さんの「グットパートナー」に認定されております。
毎年恒例のグットパートナー異業種交流会/勉強会が今年も開催されました。

午前中は5つの見学コースの中から1つを選んで参加します。
私は六本木にありますシスコシステムズ合同会社の見学に参加いたしました。
シスコシステムズはITデバイスを開発している会社で、最近ではビデオ会議に使用するデバイスや会議予約システムに使うデバイスなどに力を入れています。シスコのオフィスは出社率が平均20%しかないそうです。会社には固定席はなく、デバイスを使った会話が気兼ねなくできる“フォンボックス”が多く設置されています。その他一人で作業がしやすいイスや、数人で打ち合わせができるカフェのようなスペースも充実しています。会議システムが導入された会議室は自由に予約をして使うことができ、各会議室にはモニターや温度センサー・人感センサーが設置されており、会議室の利用状況が一目で分かります。シスコでは自社のオフィスを実験的に活用し、お客様に見てもらい、販売に繋げているとのことです。今後テレワークがどんどんスムーズになっていくのでしょうね。
シスコシステムズイス
【静かに仕事をしたい場合はこのイス】

午後は九段会館に移動して2つの講演会でした。
最初はAVILEN社長の髙橋光太郎さんです。AVILENは企業による生成AI活用をお手伝いしている会社です。今後マイクロソフトOfficeにもChatGPTが装備されてくるそうで、一般の人がAIを安価で使える時代は目の前に来ているようです。
二人目の講師はラグビー元日本代表キャプテンの廣瀬俊朗さんです。
ラグビーを引退した後はラグビー解説だけでなく、ドラマ出演・報道番組のコメンテーターなど幅広く活躍されていますが、株式会社HiRAKUを創業し、社会貢献にも積極的に取り組んでおられます。チームビルディングにはコミュニケーションが大事で、一人一人の個性に寄り添うことが重要とのお話を頂きました。
廣瀬俊朗
【右 ラグビー元日本代表 廣瀬俊朗氏】

東京みらい市2023 を見学

投稿者:落合智貴
10月13~14日に東京ビックサイト東ホールで開催された「東京みらい市2023」を見学してきました。橋本総業さんが企画している恒例の展示会です。

積水化学工業は「耐火VP」を展示していました。年々需要が増えている耐火VPですが、この度200φシリーズが発売されるそうです。
積水化学工業 耐火VP200φ

耐火VP200φ

オンダ製作所は架橋ポリエチレン管・継手のシェアが高いメーカーです。
便利な継手も続々と発売されており、特に目を引いたのが異種管接続用の継手です。架橋ポリエチレンも世に普及しだしてから20年ほどになり、既設の架橋ポリエチレンを改修するケースが増えてきています。既設の配管がポリブテンやエルメックスなどの場合でも対応できるように継手のラインナップを充実させているのが最近の特徴となります。
オンダ製作所 架橋ポリエチレン

オンダ異種管変換アダプター

落合住宅機器の歴史を辿る【創業~昭和29年度(~1954年度)】

投稿者:落合智貴
戦後、GHQの占領下において、日本の新しい国づくりが進められました。
昭和26年9月8日にサンフランシスコ講和条約が吉田茂首相により調印され、昭和27年4月28日に発効されました。当社が設立されたのはこんな時代背景のころです。
サンフランシスコ講和条約

当社の創業者であり私の母方の祖父である落合義作は大正2年1月に埼玉県狭山市で生まれました。
狭山の落合家は江戸時代から続く土地持ちで、造園業などを手掛けておりました。
次男であった義作は親からもらった金で東京の初台に土地を買い、そこを住まいとしました。
その土地が平成31年まで本社だった場所です。
慶応大学経済学部を卒業後、芳沢機工という鉛工事などにかかわる会社に就職。 戦争では兵隊として中国などに行きました。 復員後、証券会社・通産省化学肥料部・小企業の共同経営などを経て、昭和25年11月に独立。
昭和27年2月19日に ㈱落合鉛工業所 を設立したのが現在の当社です。
自宅を会社とし、最初は少人数でスタートしました。
会社の庭先には社員の住込み寮も作り徐々に社員を増やしていきました。
建場(たてば)という一種の「鉄くず問屋」のようなところに行って鉛を購入し、それを鉛管メーカーで製品に替えてもらい、水道工事業者に販売する。そんなことから商売を始めました。
鉛は相場によって価格が上下する為、相場の読みも大事だったようです。
当時の朝鮮戦争の影響で鉛相場が急騰し、大きく儲けたことが創業時の勢いをつける要因になりました。

【会社発足時の定款と公証人役場の認証書が現在も残っています】
【会社発足時の定款と公証人役場の認証書が現在も残っています】