落合住宅機器の歴史を辿る【昭和42~45年度(1967~1970年度)】

投稿者:落合智貴
アメリカのニクソン大統領と日本の佐藤栄作首相の合意により沖縄の日本への返還が決まったのがこの頃です。
終戦から20年以上が経ち“戦後が終わった“と感じた人が多かったのかもしれません。
日本の経済は順調に成長していました。

当社は昭和45年3月に社名を「落合鉛工㈱」から「落合住宅機器㈱」に変更しました。
当社にとっての創業事業である水道鉛管が使われなくなってきており、“鉛の時代が終わった“ということで社名を変えました。
昭和37年に松下電器産業の代理店になって以来、ナショナル製品の拡販に力を入れ、“これからは「住宅機器」の時代である”というのが当時の落合義作社長の判断だったのだと思います。素敵な住宅機器で暮らしがどんどん便利になっていく。日本人みんながそんな夢を描いていた時代だと思います。

【当時の木造の社屋前 女性社員5人】
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【昭和44年10月の伊東温泉社員旅行】
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【昭和45年2月 創立記念食事会にて】
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【落合ビル建替時の世田谷弦巻の仮事務所】
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Makuake 知ってますか?

投稿者:落合智貴
数多くのITベンチャーが立ち上がっていますが、Makuakeもその一つです。
Makuakeは「アタラシイものや体験を応援購入しよう」という理念のサイトです。
まだ世の中にない新しいコンセプトの商品などを開発したい会社にとってハードルになるのが、開発資金・消費者の反応・販売先の確保ではないでしょうか。
それらを一気に解決してくれるのがこのサイトです。
この会社はもともと開発資金を多くの人から集める「クラウドファンディング」の着想からスタートしています。
これにECサイトの要素を取り入れ、開発者と購入者を“応援購入”という形で結び付けた画期的な仕組みです。
このサイトの会員になると新しいアイデア商品の紹介が毎日のようにメールで送られてきます。
その紹介サイトは写真や映像を交えながらその商品の開発コンセプトをストーリー仕立てで説明してくれるので、つい“応援購入”してしまいます。
最近ではコロナ禍で苦戦している飲食店による家庭用の高級食材をセットにした掲載も増えているようです。
世の中の一歩先のトレンドをチェックする意味でもMakuakeサイトをみるのは大いに刺激になります。

【共同創業者の中山社長と坊垣さん】
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今月の「いい言葉」2021年1月

投稿者:落合智貴
落合家がお世話になっているお寺に元旦にご挨拶に行くとカレンダーを頂けます。
毎月ありがたい「いい言葉」が書いてあるので部屋に飾ってあります。
1月のカレンダーの言葉は『今日とは常に明日の準備である』でした。
これは若いとか年配とかに関わらず大切なことですね。
明日が今日よりも少しでもいい日になるように毎日考えるのが生きていくことの意味なのかもしれません。
うまくいかないときや辛く苦しい日も多いですが、“明日への準備“は怠らないようにしたいですね。
今月のいい言葉2021.1

落合住宅機器の歴史を辿る【昭和46~48年度(1971~1973年度)】

投稿者:落合智貴
佐藤栄作総理が長期政権を終え、田中角栄が若くして首相に上り詰めたのがこの頃です。
時代はまさに高度経済成長の進行中でした。

創業以来当社の本社は木造平屋であり、社長自宅と社員寮を兼ねてやっていたそうです。
創業して約20年が経ち、ようやく鉄筋コンクリートの本社ビルを建てようということになりました。
当時は新宿の高層ビルも京王プラザホテルや住友ビルなどが初めて建ったころであり、当社のビルが7階建てですので、周りと比べるとかなり大きく感じたと思います。
日本はまだまだ住宅の供給が足りず、賃貸住宅併用の本社を作ったのは時機を得た決断だったと思います。
1階に事務所兼倉庫を構え、2階から7階を18所帯の賃貸マンションにしました。
これが令和元年(2019年)まで本社だった初台の落合ビルです。
賃貸マンションの名前は「ベルフラワーコーポ」。
落合家の家紋が「桔梗(ききょう)」であることからその英名が付けられました。
【新築当時の落合ビル】
落合ビル
【私の父(右)は昭和46年に入社しました】
社長と専務

落成式看板
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落成式
昭和48年(1973年)の落合ビルの落成式には多くの来賓が詰めかけ、落語家の方を呼んでの催しもあったそうです。
創業者の落合義作社長にとっては誇らしい瞬間だったのではないかと思います。

台湾のデジタル大臣 オードリー・タン

投稿者:落合智貴
台湾は新型コロナ対策として最も成功した地域と言われています。
2003年に流行したSAASの教訓を生かしたのが大きな要因です。
武漢で新型コロナが発見された直後に中国本土からのすべての団体観光客の入国を禁止しました。2020年1月20日にはCECC(中央感染症指揮センター)を設立し防疫対策の体制を構築しました。CECCは毎日記者会見を行い、国民に感染症の知識を広めていったそうです。

オードリータン
オードリー・タンは現在39歳で、台湾のデジタル担当政務委員です。
コロナ対策でマスクの在庫管理システムを構築したことで一躍有名になりました。
自身初の著書「オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る」は日本の出版社とのオンラインによる3か月のインタビューを本にまとめたものです。
“パソコンに詳しいトランスジェンダー”というイメージしかありませんでしたが、これを読むとオードリーが単なるITやAIの専門家ではなく、政治的なセンスも持ち合わせていることがわかります。
大変平和的な人物で、人間に優しく、世の中を良くしていきたいという思いが感じられます。

オードリーが導入したものに「vTaiwan」というオンラインで法案を討論する仕組みや、「Join」という国民参加型のプラットフォームがあります。
これらは誰でも政策提案を出すことができ、請願に必要な5000人の署名が集まれば当局は政策に反映させる義務が発生します。実際に16歳の女子高生が提案したことにより、プラスチック製ストローを全面的に中止する政策が決定されました。これはオードリーが目指す「デジタル民主主義」の一端であり、政府と国民が双方的に議論できる仕組みとして、間接民主主義の弱点を克服するものです。
日本でもデジタル庁が開設される予定です。
マイナンバーの活用やハンコの廃止などが議論されていくと思われます。
そういった手続き論にとどまらず、「デジタル」と「民主主義」をどう組み合わせていくのかといった視点など、台湾に見習うべき点は多いと思います。

2021年を占う

投稿者:落合智貴
昨年の1月に「2020年を占う」というタイトルでブログを書きました。
2020年はどんな年になるか?というものでしたが、様々な予想は新型コロナウィルスで全部吹っ飛んだ感じでした。
現在二度目の緊急事態宣言が発出されておりますが、飲食店が20時に閉まるようになったものの、人の流れはあまり減っていないようです。
寒く乾燥したこの冬の季節はウィルスが活発化しやすく、暖かくなるまでは感染者数が高止まりになるかもしれません。
昨日の新聞によると病床が逼迫しており、入院できずに自宅療養している方が3万人を超えているそうです。
また世界のコロナ死者は200万人を突破。歴史的なパンデミックになりました。
我々は医療関係者の方々の負担が少しでも軽くなる様感染抑制に努力しなくてはいけませんね。

2021.1.16日経
2021年はコロナ次第ということになりそうです。
東京オリンピックの開催は現実的に厳しいのではないでしょうか。
2024年に東京開催することを目指して一旦引き下がるのも選択肢だと思います。

当社も緊急事態宣言を受けて社員の出勤を25%削減することにしました。
お客様にはご不便をお掛けしますが、ご理解の程よろしくお願い申し上げます。

落合住宅機器の歴史を辿る【昭和49~51年度(1974~1976年度)】

投稿者:落合智貴
第一次、第二次オイルショックの影響を受けたのがこの頃です。
トイレットペーパーをスーパーで奪い合う当時のシーンをテレビなどで見ることがありますが、石油の値上がりによって管材業界で特に大きな影響を受けたのがビニール管の供給です。
ビニール管の買い占めや売り渋りなどが発生し、商売倫理が問われた事件でした。
お客様に「オイルショックの時に売ってくれた」と感謝されるか、「オイルショックの時に売ってくれなかった」といつまでも悪口を言われるか。おそらく業界各社でいろんな反省があったのだろうと思います。

【当時の正月の集合写真】

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落合忠氏と藤原氏
当社は松下電器産業の代理店としての地位を大切にし、高度経済成長の波に乗って着実に売り上げを伸ばしていました。昭和51年度の売上は初めて6億を超えました。当時の通貨価値を考えると今の6億円よりはもっと忙しかったんだと思います。

松下幸之助
写真は松下電器産業の代理店会「昭和51年度ナショナル住設共栄会」でのものです。
前列中央にはパナソニックの創業者であり「経営の神様」とも称される松下幸之助氏。
最後列中央の背の低い人が当社の落合義作社長です。
歴史上の人物と一緒に写った貴重な写真です。

謹賀新年2021

新春を迎え皆々様のご多幸をお祈り申し上げます
旧年中は格別のご厚情を賜り誠に有難うございました
昨年は新型コロナウィルスに社会全体が翻弄される年になりました
働き方や営業活動のあり方も今後大きく変わっていくことが予想されます
皆様におかれましては健康な一年になります様ご祈念申し上げます
社員一同益々努力していく所存でございますので
本年も何卒ご指導を賜ります様宜しくお願い申し上げます
貴社の益々のご発展をご祈念申し上げ、新年のご挨拶とさせて頂きます

令和三年 元旦
                     
落合住宅機器株式会社    
代表取締役社長 落合智貴

2021賀正

管工機材の教科書 2021年版作成開始

投稿者:落合智貴
2019年に東京管工機材商業協同組合として初めて作成した「管工機材の教科書」を再び作成することになりました。
この教科書は管工機材商に入社された新入社員を読者対象として作られたものですが、前回はゼネコン様・設備工事会社様・メーカー様など様々なお立場の方にもお求めいただきました。
現在、前回の15章に加え、新たに7団体に執筆をお願いしており、2021年春の完成を予定しています。
今回は新たに巻末問題集を作成し、より活用しやすいものを目指しています。
問題を解き、改めて教科書を読みなおすことによって読者の理解が深まるものと思います。
今回も私が作成委員長を務め、14名の委員の皆さんと月一回の委員会を設けて完成に向けて議論を進めております。
グレードアップした教科書の完成をぜひご期待ください。

【12月21日の委員会の様子】
 【12月21日の第二回委員会の様子】

落合住宅機器の歴史を辿る【昭和52~54年度(1977~1979年度)】

投稿者:落合智貴
巨人の王貞治が756号ホームランを打ったのが昭和52年(1977年)でした。その頃は夜のテレビと言えば巨人戦を見ていた家庭が多かったのでしょう。職場でも前夜の巨人戦の話題が多かったのだと思います。当社でも松下電器産業とその代理店で草野球のリーグ戦をやっていました。私も小学生のころよく父がピッチャーをやっているその試合を応援に行きました。当時は社員の平均年齢も若く、野球チームができたんですね。今では9人そろえるのは至難の業です。

【落合住宅機器のユニフォームはこんな感じでした】
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【当時の落合義作社長 初台旧本社の社長室】
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当社は昭和48年に本社を建替え、新しい事務所での仕事に慣れてきた頃でしょうか。
当時の写真をみるとモノが少ないと感じます。パソコンもなく書類も少なくスッキリした印象があります。電話も全員にはなかったかもしれません。50年近くの時間が流れ、仕事の仕方も大きく変わったことを実感します。

ベンカンの施工動画

投稿者:落合智貴
ステンレスのSU管はネジが切れないためいくつかの施工方法があります。
プレス式、拡管式、転造ネジ式、ワンタッチ式などです。
ステンレス継手メーカーのベンカンはプレス式のモルコジョイント、拡管式のBKジョイント、ワンタッチ式のEGジョイントなどをラインアップしています。
現場で最も多く採用されているのが拡管式だと思いますが、ユーチューブでベンカンさんの施工方法の動画がアップされていますのでご覧ください。
ベンカン動画はコチラ

ベンカン

ユアサ商事 Growingフェア

投稿者:落合智貴
11月13日(金)~14日(土)の二日間、幕張メッセにおいてユアサ商事主催の「Growingフェア」が開催されました。新型コロナ感染防止のため、従来の展示会「グランドフェア」とは大幅にやり方を変えた展示会となりました。
“リアルとバーチャルの融合”が大きなテーマです。
メーカーごとの出品はやめ、リアルの展示はテーマゾーンのみとなりました。
広い会場の半分くらいをパソコンスペースとし、バーチャルの展示をパソコンで見るという形式です。場内に入れる人数も密にならない程度に制限するという異例の展示会となりました。
バーチャル展示では各メーカーのブースに見立てた画面に様々な情報を張り付ける形で見ることができます。そこにはイチオシの商品の説明文や動画を見ることができます。
リアルの展示会では広い会場を歩き回らなければいけないので2時間くらいが限度かなと思います。しかしバーチャルならば椅子に座ってじっくり見ることができるので何時間でも見ていられますし、必要な情報に絞ってじっくり見ることができるのはメリットだと思います。

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コロナ禍において展示会の在り方が大きく変わろうとしています。
どこに重点を置くのかによって展示会の在り方は変わってくるのかもしれません。
情報収集が最大の目的なのであればわざわざ展示会に足を運ばずともバーチャルの常設サイトを作ってもよいかもしれません。

そもそも主催者側にとって展示会の目的は何なのか?売り上げに繋げたいという思いがあるのは当然ですが、そこには売り上げとは別の目的、例えば取引先と久しぶりに出会える場所としての意味、お祭り自体が楽しい、企業としての力を内外に誇示する?・・・などがあるような気がします。私たちも主催者の側に立つことがありますが、自己満足に陥っていないかを自省する必要がありそうです。

落合住宅機器の歴史を辿る【昭和55~57年度(1980~1982年度)】

投稿者:落合智貴
昭和57年2月19日の金曜日、会社創立30周年の当日に新宿の京王プラザホテルで「創立30周年記念式典」を行いました。当時私は小学5年生でしたので出席していませんが、カセットテープの音声と写真のアルバムが残っています。お得意様や仕入先様など200名以上が集まり立食形式のパーティーでした。

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中山隆博専務(私の父です)が司会を務め、落合義作社長(私の祖父)が挨拶。
ご祝辞として当時のお客様代表の千代田設備工業の横田社長様、仕入先様代表で松下電器産業の藤岡所長様のご挨拶。橋本総業の橋本政雄社長様が乾杯のあいさつをしました。
パーティーの余興として3名の歌手に歌を披露していただき、中締めはお客様の細谷工業の細谷社長様に務めていただきました。

創業者にとって30周年は大きな区切りであったと思います。戦後の混乱期に鉛クズを集めて、鉛管に替え、水道屋さんに鉛管を売るところから事業が始まりました。戦後の高度経済成長に乗り、この当時で従業員17名。売上高を10億円に初めて乗せたのがこの年でした。
創業者の落合義作は慶応大学時代の同級生が皆一流企業に就職し活躍しているのに負けたくないという気持ちが強かったようです。30年間で会社の基礎を作り、後継者を育て、事業が永く安定して経営できる基盤を作り上げた感慨はひとしおだったかと思います。
ここからさらに38年以上事業は存続しています。日々コツコツと仕事をしてきた従業員の皆さんの努力も忘れてはなりません。会社の基礎を作った先人たちに感謝したいと思います。

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【前列に着席しているのが役員 後列以降が会社の創業期を支えた社員の皆さん】

ノーリツの「ロボットお父さん」

投稿者:落合智貴
最近、動画によるPRを活用する会社が増えてきましたね。商品の使い方・工具の使い方・継手の接合方法など、設備業界でもカタログにQRコードを印刷して、動画に誘導する手法が多いです。
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給湯器メーカーのノーリツはお湯にまつわるエピソードや給湯器の新機能を織り交ぜたショートムービーを始めました。4人の家族がストーリーを展開する「ロボットお父さん」。
よろしければご覧ください。

製販懇談会2020秋

投稿者:落合智貴
東京管工機材商業協同組合の製販懇談会が11月2日、明治記念館にて行われました。
コロナへの各社の対応に注目が集まりましたが、メーカーはテレワークを継続している会社が多かったです。各社の発表をご紹介いたします。

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●リケン
2020年上期は特約店向けねじ込み継手は前年比76%。ステンレスメカニカル継手69%。ハウジング継手73%。コロナの影響で4~5月に工場休業した影響が出た。トップジョイントは負圧に強い製品を上市予定。
●クボタケミックス
塩ビパイプの需要はリーマンショック前の年40万t程度から27万t程度まで落ちて下げ止まっている。2020年度は前年比90%前後の見込み。塩ビ原料は今年前半に下がったが、徐々に値戻しされる見込み。
●フネンアクロス
2020年度上期は西日本が好調。大阪万博の需要に期待。東京は前年比80%程度。200φシリーズやプレカットが好調。従来の鋳物製品をモルタル製に変えた「FV-キャップ」を新発売。
●キッツ
上期は国内90%、海外91%。半導体関連は115%と好調。建築設備は中小現場では延期や中止が目立ったが、大型現場は予定通り。茅野工場内に研修センター(イノベーションセンター)を建設。
●荏原製作所
建築投資は今後新規が減少する見込み。設備投資は製造業・非製造業とも減少するがIT投資は増えそう。公共投資は国土強靭化に期待するが横ばいの見込み。4階建て以上の新築は減少傾向であるが、20階以上の大型物件は増える見込み。
●ダイキン工業
業務用エアコンは前年の学校需要が多かった反動とコロナの影響で77%と大幅減。ルームエアコンは4~5月に家電量販店の休業があったが、巣籠もり需要と10万円の給付金の影響で6~9月は挽回。空気清浄機も好調。在宅勤務や換気需要などに期待。
●LIXIL
ニューノーマルでリフォーム需要は拡大しそう。3月に中国武漢の感染で供給が止まった。ホワイト物流を目指しており、配送ニーズに応えられない場合がある。ショウルーム・展示会・勉強会などのオンライン化を進める。

落合住宅機器の歴史を辿る【昭和58~60年度(1983~1985年度)】

投稿者:落合智貴
昭和58~60年度は私が中学生の3年間です。
中2の時に祖父落合義作(当時社長)の自宅を二世帯住宅にリフォームし、引っ越しをしました。父の養子縁組とともに中山智貴から落合智貴に苗字が変わるのは子供心に複雑な心境でした。昭和60年8月には祖母落合照子が亡くなったのは祖父にとってはショックな出来事だったと思います。私は中2から陸上部に入り、長距離チームの駅伝メンバーとして練習の日々でした。
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【後列中央が中2の筆者 初代、2代目、3代目が揃った写真はあまり残っていません】

政治の方は中曽根内閣の長期政権の最中です。日本専売公社がJTに、国鉄がJRに、日本電電公社がNTTにと民営化を進めたのが中曽根内閣の功績だと思います。
日本戦後政治の総決算を謳い外交でも存在感を確立していったのがこの頃でしょう。

当社は8~9億円の売り上げを確保していましたが、ナショナル製品の拡販に力を入れている時期であり、利益率は今より4~5ポイント低かったです。1000万円以上の貸倒れが時々発生し、なかなか内部留保がたまらないという状況でもありました。

ダイキン全熱交換器ユニット 後付タイプ新登場

投稿者:落合智貴
ウィズコロナ時代のニーズに合った商品が開発されてきています。
コロナ対策で重要なのが“換気“です。
ダイキン全熱交換器ユニット「ベンティエール」に後付タイプが新たに発売されました。
黒のボディで露出設置に対応できる商品です。
現場の状況に合わせて上下の向きも変えることができ、斜め設置も可能です。
換気が必要な状況で寒い冬や暑い夏に窓を開けるのは冷暖房効率を落とします。
空調効率を維持できるのがこの「ベンティエール」です。

ベンティエール紹介動画
ベンティエール

新しい展示場が「浜松町」に誕生

投稿者:落合智貴
東京都立産業貿易センター浜松町館は以前、東京都管工事工業協同組合さん主催の管工機材設備総合展で使われておりましたが、建て替えのためここ数年は浅草の台東館で開催していました。
今年2020年の秋に大規模再開発の末新たにオープンしました。
オープンがコロナ禍と重なってしまい、管工機材設備総合展は中止。イベント数も絞られた中でスタートしたようです。
東京管工機材商業協同組合主催の2021年の管工機材設備総合展はこの新装「浜松町館」で行う予定です。
先日見学してきましたが、2~5階の4フロアが展示会場になっており、40階建ての高層オフィスエリアはソフトバンクグループが入居しているそうです。
2~5階の展示スペースは天井が高く開放感があります。上下の移動はエレベーターのほかエスカレーターもあり、スムーズに行けそうです。各階にレストランエリアがありますので、ご来場者や出店メーカーさんの休憩スペースには問題なさそうです。
いつも課題になる出展者の搬入動線ですが、従来の浜松町館は搬入用エレベーターが2基しかなく大渋滞を起こしていたそうですが、今回は4フロアで4基のエレベーターがあるので改善されました。
そしてなんといってもこの会場のメリットはアクセスの良さ。JR浜松町駅からは徒歩5分。来年(2021年)夏には浜松町駅から屋根付きの歩行者デッキが完成し、雨でもJRから傘を差さずに会場までたどり着けます。
東京ビックサイトも広くて良い会場ですが、アクセスのよい浜松町館の出番がこれから増えてきそうな気がします。
東京都立産業貿易センター 浜松町館
東京都立産業貿易センター浜松町館

落合住宅機器の歴史を辿る【昭和61~63年度(1986~1988年度)】

投稿者:落合智貴
昭和もだいぶ遠い過去になってきました。
当時の竹下内閣は「ふるさと創生」と称して市町村に1億円づつ配る政策をとりました。各自治体は工夫を凝らした使い方を試みましたが、結果はいまいちだったようです。財政難の今では考えられない政策ですね。

当社は昭和27年の創業以来36年間社長を務めてきた落合義作に代わり、昭和63年に落合隆博が二代目社長に就任しました。私の父である隆博は昭和46年、母との結婚を機に当社へ入社し、専務取締役として現場で指揮を執っていました。当初は旧姓の中山専務を名乗っていましたが、昭和59年に落合家の跡取りとして養子縁組し落合専務となりました。

当時の父は入社17年、年齢が48歳と創業者が二代目にバトンを託すのにちょうどよいタイミングだったのだと思います。当時祖父である落合義作は「二代目が会社を伸ばすんだ」と言っておりました。会長に退き、ゴルフや旅行にと悠悠自適の生活を楽しめると感じていたと思います。この時点ではまさか二代目に先立たれるとは思っていなかったでしょう。
私は当時高校生。高校野球に打ち込んでいました。自分が三代目であることを薄々意識しだしたのがこの頃だったのかもしれません。

【前列右から2番目が初代義作、後列左が二代目隆博、その右が三代目筆者(18歳)】
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父は自分なりのやり方で会社を良くしていこうと意欲に燃えていたのだと思います。お客様を大事にする精神、社員を大事にする精神を大切にしていました。父が社長を務めた7年間は当社の歴史の中でも最も業績の良い時代でした。この頃は年間売上が9億円以上で、経営は安定軌道に乗っていたと思います。今となっては大変うらやましい繁栄の7年間でした。

菅義偉 という人物

投稿者:落合智貴
安倍首相の辞任を受けて行われた自民党総裁選で菅義偉氏が選ばれ、第99代内閣総理大臣に就任しました。内閣支持率は70%を超え上々の滑り出しかと思いましたが、日本学術会議任命問題では様々な議論が行われています。
菅首相は総裁選の出馬会見でも述べていた通り、秋田の雪深い農村の出身です。高卒後に東京にでて、段ボール工場で住み込みで働くなどした後、法政大学法学部に入学し、空手部に所属。電気設備会社の勤務の後、小此木彦三郎衆議院議員の秘書を経て横浜市議会議員になったのが政治家としての入り口でした。

菅首相は今までにないタイプの総理大臣ではないかと思います。従来の自民党総裁選は、派閥の領袖である、影の実力者の操り人形など、醜い権力の争いが垣間見える世界だったと思います。なりたい人がたくさんいる中で、やらないと繰り返し発言していた菅氏が首相になったのは異例です。
菅氏は安倍政権の官房長官として人事権を掌握して官僚をしっかりとコントロールしました。安倍政権で“忖度”志向になっていったのもこのせいかもしれません。規制改革などは強い力を持っていないと進められません。派手さはないが、コツコツと成果を出し、私利私欲を感じさせないところも周りの政治家から大きな信頼を勝ち得た要因だと思います。
菅義偉
松田賢弥著「したたか 総理大臣・菅義偉の野望と人生(講談社文庫)」は2015年までの菅氏の道のりが書かれています。厳しい寒さの中で育ち、労働者として下積みも積んだことが世の中をよくしたいと思うパワーになったのだと思います。梶山静六や安倍晋三を首相にするために裏方として奔走した姿は、自分が正しいと信じる道を実直に進んでいく気質がよくわかります。デジタル化の推進など具体的な方針も見えてきました。首相として大局を見据えた手腕を期待したいと思います。

さよなら! 初台落合ビル

投稿者:落合智貴
昨年(2019年)7月に初台から江古田に本社を移転し、旧本社の落合ビルはその後売却しました。1階の当社使用部分と2~7階の賃貸マンション「ベルフラワーコーポ」は2020年9月末まで賃貸契約が残っていたため、解体・建替は2020年10月以降になることは当初から決まっていました。
落合ビル外観
落合ビル・ベルフラワーコーポは昭和48年(1973年)に建築され、47年が経過しました。旧耐震の建物であり、当時の給排水はSGP白ガス管でしたので配管のメンテナンスもコストが掛かっていました。2階以上の住居部分に行くのに階段を上らなければいけないなど、バリアフリーにも対応しておらず、ここらが限界ではないかとの判断が建替に至った理由です。この10月から解体が始まり、今後は東京建物様の賃貸マンションに生まれ変わる予定です。

【1階の旧事務所は何も残っていません】
落合ビル内観
マンション名にある“ベルフラワー”は落合家の家紋である桔梗(ききょう)の英名です。今放送中のNHK大河ドラマ「麒麟が来る」では明智家の家紋が桔梗であると描かれています。また、先日のTBSドラマ「半沢直樹」では半沢の妻役の上戸彩さんが白井大臣役の江口のりこさんの胸に桔梗の花を挿してあげるシーンがあり、「桔梗の花言葉は“誠実”です」と告げていました。その後白井大臣は柄本明さん扮する箕部幹事長に引導を渡すことになりますが、制作者は織田信長に引導を渡した明智光秀とダブらせたかったのかもしれません。

47年間お世話になった建物に感謝しつつ、今後も江古田社屋で”誠実”に会社を経営し、未来に向かって頑張りたいと思います。
【47年前の初代・落合義作、2代目・隆博 現在の3代目・智貴】
社長と専務 落合ビル2階

落合住宅機器の歴史を辿る【平成元~2年度(1989~1990年度)】

投稿者:落合智貴

昭和天皇が崩御し、小渕恵三官房長官が「平成」の文字を発表し元号が変わりました。令和となった今ではその出来事もすでに歴史の一コマと言えるかもしれません。竹下内閣は自民党念願の消費税の導入を平成元年4月に成し遂げました。当初の消費税は3%。10%まで上がっている今となっては小さい税率に感じますが、消費税導入に当たっては世論の反対も大きく、私にとって政治が生活に密着しているものだと初めて実感した出来事でした。そして、リクルート事件が発覚し、大物政治家が次々と未公開株を受け取っていたことが分かり、政治不信の影響から竹下内閣は退陣し、宇野宗佑首相が誕生します。しかし女性問題から2か月で退陣し、よりクリーンなイメージの海部俊樹内閣に代わります。

経済の方は株価や土地価格がどんどんと上昇を続け、日本が世界に冠たる経済大国であることを自他ともに認め、海外の不動産や会社を買収するようになりました。日本に対するバッシングが起こるようになったのもこの頃だと思います。

私の父 落合隆博は昭和63年に二代目社長に就任しバブル経済の時流に乗って好業績を残していました。平成2年度の経常利益は4233万円と過去最高。この頃の父は毎年4月になると決算書を作るのが楽しくてしょうがないと嬉しそうにしていました。お客様をゴルフや旅行にご招待し、皆で利益を分け合っていた。そんな良き時代だったと思います。

【松下電器MACS PLAZAを落合会で見学したときの様子】

 

ワークマンの躍進

投稿者:落合智貴
作業服の販売で昔から有名なのがワークマンです。2018年に「ワークマンプラス」1号店をららぽーと立川立飛にオープンさせてからさらに飛躍し、今ではマスコミで何かと話題になっています。
【ワークマンプラス 立川立飛店】とにかく安いです!!
ワークマンプラス立川立飛店

改革の立役者となったのが創業家出身の土屋哲雄専務です。哲雄氏は三井物産を定年退職後に2012年に入社しました。
ワークマンのもともとの強みは標準化とローコスト経営でした。品ぞろえや業務はすべてマニュアル化されており、超少数精鋭体制で無駄な販管費を使わないことが徹底されていたそうです。
土屋哲雄氏が従来のワークマンの強みに加えたのが、データ経営と商品開発の強化です。ワークマンの多くの店舗はフランチャイズオーナーによって運営されていますが、売れ筋商品を自動発注できる仕組みを構築。またユニクロやニトリのようなSPA企業を見据えた商品開発では、SNSで影響力のあるインフルエンサーに商品開発に加わってもらうなど顧客視点の商品開発を徹底しました。これらを武器に、従来のターゲット層である職人だけでなく、一般顧客が入店しやすい「ワークマンプラス」では品ぞろえを変えずに、カンバンや展示方法を変えることでカジュアル需要も取り込むことに成功しました。
一見成熟産業に見える業態でも工夫の余地は無限にあることを教えられました。

【酒井大輔著「ワークマンはなぜ2倍売れたのか」日経BP社 が注目されています】
ワークマン本

棚番号管理を導入

投稿者:落合智貴
初台から現在の江古田に移転した際に、倉庫の棚を一新しました。
初台では古い管材店によくあるベニア板で組み立てた棚をメインに使っていました。
現在はスチール棚を新設し、整然と商品を配置できるようになりました。

移転後一年が経過しましたがこの度「棚番号」管理を開始しました。
アルファベットの棚番号と縦横の数字を組み合わせてすべての棚に番号を振りました。
商品のピッキングに使う受注伝票にも商品ごとの棚番号を表示することが出来ます。

先日のこのブログでもご案内しましたが、8~9月に国際短期大学の学生さん3名にインターンシップとして仕事をしていただきました。
その際に役に立ったのがこの「棚番号」です。
学生さんにはコンピューター上の在庫数と実際の在庫数の差異を確認するために、実地棚卸をお願いしたのですが、棚番順に並んだ商品リストを印刷して頂き、商品の場所を説明しなくてもほぼ数えることが出来ました。

新人でもすぐに保管場所が分かる体制が出来たのは、今後の社員採用・育成にも有効だと思います。少しずつですが今後も社内管理体制を整えていきたいと思います。
棚番号

落合住宅機器の歴史を辿る【平成3~4年度(1991~1992年度)】

投稿者:落合智貴
この頃はまさにバブル絶頂期。当社の売り上げは平成3年度に12億4741万円を達成し、この年が当社史上最高売り上げとなっています。
昭和42年より「落合ナショナル店会」として松下電器産業と当社とお得様を会員とする会で活動をしておりました。この24年の歴史に幕を閉じ、松下電器以外の仕入れ先を入れた新生「落合会」に会を変更したのが平成3年9月です。さらに会を発展させようとお客様を旅行にご招待したりしていました。
また、落合ゴルフ会として東京読売カントリークラブでゴルフコンペを毎年開催していました。名門東京読売でプレーできるということで、お客様や仕入先の皆様には今でも懐かしがる方もいらっしゃいます。

政治の世界では海部内閣から引き継いだ宮沢内閣は、湾岸戦争における日本の経済協力が世界から評価されなかったことを受けて「PKO協力法」を成立させました。
しかし東京佐川事件など政治不信の高まりが自民党に対する不信につながり、自民党が下野する結果になります。

この頃は高度経済成長のゴールといえるのではないかと思います。
貧しい日本がお金持ちになり、多くの人が中流意識を持って豊かに生活できる国になった。多くの人がそう実感できたのだと思います。
株や土地で大儲けをする人も増えて銀座などの繁華街は大騒ぎだったようですね。
一方、当時私はまだ大学生。バブルの喧騒を横目に、住み込みの新聞配達をしていました。

【平成3年10月 社員旅行の様子 善光寺】
【平成3年10月 社員旅行の様子 善光寺】

 

安倍首相の辞任

投稿者:落合智貴
おととい(8月28日)に安倍晋三首相が自身の病気を理由に辞任を表明しました。
首相在任期間は第二次政権だけでも7年8ケ月に及び、連続・通算のいずれにおいても日本憲政史上最長となりました。
日本の総理大臣はどんな判断を下しても批判されますし、判断を下さずに問題を先送りしても批判される大変厳しい立場です。肉体的・精神的な負担は並々ならぬものであり、それを7年以上続けたのは大変な苦労であったと思います。
森友・加計・桜を見る会など批判もありますが、いずれも安倍首相が私腹を肥やす為とか自身の欲望の為に行ったこととは思えず、常に日本の為を思って行動・発言を心掛けてきた人物ではなかったかと思います。
国のトップの最大の責任は、貧困で亡くなる人を防ぐセーフティーネットをしっかりと確保することと、結果として戦争を起こさないことではないかと思います。
方法論としては色々とあると思いますが、結果として戦後75年間戦争を起こさず、経済発展を遂げてきたことを考えると、戦後の日本政治は及第点と言えるのではないでしょうか。
報道を見ていますと、世論は政治や首相に頼りすぎている印象があります。うまくいかないことは何でも政治のせいにするのではなく、民間や個人レベルで自らが努力する姿勢を皆がもっと持つことが必要ではないでしょうか。
安倍首相辞任

大塚商会の導入事例に当社が掲載されました

投稿者:落合智貴
当社の販売管理ソフトやIT全般でお世話になっているのが大塚商会さんです。
この度大塚商会さんのホームページに当社の導入事例が紹介されました。
落合住宅機器導入事例
2000年(平成12年)に販売管理ソフト「スマイルα」を導入してから当社の在庫管理のコンピューター化が始まりました。その後在庫発注のルールを整備し、見積-受注-売上までの計上をこのソフトを通じて行う流れが定着しました。
さらに、仕入商品がいつ入荷し、どこのお客様に配達するのかを明示する紙が出力できるようにカスタマイズしたり、仕入れているのに売上が計上されていない商品をリストアップするなど当社独自の変更も対応して頂きました。
昨年の本社移転に際してはWi-Fi環境を整えたりLAN配線を整備することに加え、複合機・デスク・収納・倉庫棚なども大塚商会さんと一緒に検討しました。

私のインタビューを中心とした動画も作成頂きましたので、是非ご覧ください。(コチラ)
大塚商会導入事例

落合住宅機器の歴史を辿る【平成5~6年度(1993~1994年度)】

投稿者:落合智貴
バブルのピークは過ぎたものの、しばらくすればまた元に戻るだろうと楽観的に考えられていたのがこの頃だったと思います。
宮澤内閣を最後に38年間続いた自民党政権が幕を閉じ、日本新党や新生党を中心とする8党連立の細川内閣が誕生。国民福祉税構想や佐川急便グループからの借入金問題などが重なり、8カ月余りで退陣することになります。
その後を引き継いだ羽田内閣も社会党の離反などから政権が安定せず、わずか64日での退陣となり、自民・社会・さきがけ連立の村山内閣が発足します。社会党が総理を出すのは46年ぶりの事でした。
戦後の高度経済成長が終焉し、国民も変化を求めた結果なのでしょうか?
この政権交代は時代の変わり目の象徴と言えるのかもしれません。

当社の業績もバブルのピークからどんどん売上が下降を始めました。平成5年の12月には社長である父 落合隆博が大腸の手術をし、当時大学4年生だった私は今後の家族や会社について大きな不安を抱えていました。
平成6年に私はユアサ商事に入社し空調機や換気扇などの受発注を担当しておりましたが、常に父の病状を気にしながらの生活でした。

バブルのピークに12.5億円あった売上は平成5年度には9.3億円。平成6年は6.9億円と下がり、平成6年度は1677万円の大きな経常赤字を出しました。

【お客様と仕入先様とをつなげる落合会が恒例行事でした】
(左から二人目が当時の落合隆博社長)

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国際短期大学とのインターンシップ

投稿者:落合智貴
昨年移転した中野区江古田の今の本社の近くに「国際短期大学」があります。
名前の通り国際社会を意識したカリキュラムが特徴の大学です。
1学年150人ほどの比較的小さな大学ですが、国際コミュニケーション学科の中に英語キャリアコース・国際観光コース・ビジネススキルコースの3つがあり、就職を意識した非常に実践的な授業を推進している学校です。
今回、当社とお近くということもあり、インターンシップ制度に参加することになりました。
8~9月に女性1名、男性2名の一年生3名の学生さんに各一週間ほど当社の職場を体験して頂きます。
今年入学されたばかりの学生さんはコロナ禍の中での入学となり、いきなりオンライイン授業でスタートし、6月からようやく通学できるようになったそうです。短期大学で2年間の学生生活ですので慌ただしいですが、濃厚な一日一日にしなければなりませんね。
当社でのインターンシップではPC入力作業や棚卸作業、工事現場への配送同行などを体験してもらおうと考えています。
普通の人がなかなか入ることがない建築現場を体感することで、建設業界の雰囲気を少しでも理解してもらえればと思いますし、仕入-在庫-販売という一連の卸売業の流れも体感して頂けたらと思っています。
会社のスタッフにとっても若者が頑張る姿を見て刺激になるのではないでしょうか。
学生・会社のお互いにとって有意義なインターンシップになればうれしく思います。
国際短期大学

半沢直樹とサイボウズ 働き方の変化?

投稿者:落合智貴
TBSテレビの日曜劇場で「半沢直樹」が始まり、20%を超える視聴率で人気です。
銀行幹部の横暴に言いたいことをズバッと言う半沢直樹のセリフにスカッとして月曜日の仕事に向かっていく人が多いのではないでしょうか。
半沢直樹の世界で描かれているのは昭和の名残を残す、派閥争いやライバルを蹴落として出世を目指すドロドロとした重たい組織の世界です。
半沢直樹 
令和の時代になり、コロナ禍が続き、働き方が大きく変わっています。
グループウェア開発などを行っているサイボウズは年間離職率28%の反省から「100人100通りの働き方」をめざし、離職率4%を達成した会社です。
サイボウズの副社長山田理氏の著書「最軽量のマネジメント」では新しい組織の在り方、働き方を提言しています。著者の山田氏はバブル期に日本興業銀行に入社し、まさに半沢直樹の世界で育った人です。この時代の反面教師として生まれたのが今のサイボウズ式なのかもしれません。
サイボウズは“マネジメントなんていらない組織が理想だ”と考えています。従来の組織図は情報を集約する仕組みであったが、インターネットの発達により情報を独占することがトップの優位性でなくなってきた、という時代背景が新たなマネジメントを模索するきっかけになったのだと思います。そこで著者が述べているのは以下のことです。
・マネージャーは地位ではなく役割である。
・組織の中で、誰が何のプロかを知っておくことが重要。
・目指すのは“ホワイト企業”ではなく“透明な企業”。
・ザツダン(雑談)でマネージャーの“視力”を上げることが大事。
・アホはいいけどウソはだめ。
・辿り着いたのは“100人100通りの自立”
サイボウズ

これからの企業経営は「守る」ことより「壊す」ことが大事なのかもしれません。
コロナによって社会が大きく変わってきています。既成概念へのこだわりをどう捨てていくのかが生き残りのカギになるような気がします。