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月別アーカイブ: 6月 2018

落合住宅機器の歴史を辿る【昭和58~60年度(1983~1985年度)】

投稿者:落合智貴 昭和58~60年度は私が中学生の3年間です。 中2の時に祖父落合義作(当時社長)の自宅を二世帯住宅にリフォームし、引っ越しをしました。父の養子縁組とともに中山智貴から落合智貴に苗字が変わるのは子供心に複雑な心境でした。昭和60年8月には祖母落合照子が亡くなったのは祖父にとってはショックな出来事だったと思います。私は中2から陸上部に入り、長距離チームの駅伝メンバーとして練習の日々でした。 【後列中央が中2の筆者 初代、2代目、3代目が揃った写真はあまり残っていません】 政治の方は中曽根内閣の長期政権の最中です。日本専売公社がJTに、国鉄がJRに、日本電電公社がNTTにと民営化を進めたのが中曽根内閣の功績だと思います。 日本戦後政治の総決算を謳い外交でも存在感を確立していったのがこの頃でしょう。 当社は8~9億円の売り上げを確保していましたが、ナショナル製品の拡販に力を入れている時期であり、利益率は今より4~5ポイント低かったです。1000万円以上の貸倒れが時々発生し、なかなか内部留保がたまらないという状況でもありました。

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東芝の凋落

投稿者:落合智貴 トップの判断違いによって、大きな組織でも崩壊する可能性があると考えさせられるのが東芝の凋落です。 東芝は社員20万人を擁し、経団連会長を輩出するなど日本の名門企業と言える存在です。 大鹿靖明著「東芝の悲劇(幻冬舎)」では歴代社長について、元広報室長の次の言葉を紹介しています。 “模倣の西室 ・ 無能の岡村 ・ 野望の西田 ・ 無謀の佐々木“ 東芝はウエスチングハウスに巨額の資金をつぎ込み買収しました。ウエスチングハウスはアメリカの原発メーカーで、熾烈な買収合戦を制した上に手に入れました。しかし東日本大震災による福島第一原発の爆破事故によって原発事業は大きな負債事業に陥ってしまいます。 東日本大震災さえなければ・・・  結末を知っている今の我々にとっては無謀な投資と感じますが、投資を決断した当時のトップは運が悪かったと感じているかもしれません。 個人の野望と会社の成長。また株主の思惑とリスクの許容範囲。 社長の暴走を止めることは言うほど簡単ではありません。 コーポレートガバナンスの難しさを考えさせられる事例だと思います。 企業は本能的に大きくなろうとするものですが、事業が複合化し、目が行き届かなくなる範囲が増えると、事業に対する愛着が希薄化し組織がサラリーマン化していきます。本業に専念している会社、例えば自動車のトヨタや衛生陶器のTOTO、空調機のダイキン工業などが勝ち残っている印象があります。 本社が大きな資金を持っていると大きな投資、無謀なギャンブルについ走りたくなります。 うまくいけば社長個人の功績。うまくいかなければ株主や銀行が損を被る。 この構造を変えない限り東芝のようなことは今後も起こるかもしれませんね。

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フネンアクロス 新商品

投稿者:落合智貴 耐火二層管メーカーでおなじみのフネンアクロスの特約店会「東京フネン会」に加入しました。 耐火二層管の継手は従来、パイプとの接続箇所に目地処理の施工が必要でしたが、10年ほど前に目地付の継手が義務付けられて今の形になっています。 従来当社は他メーカー(A社)を在庫していましたが、スポンジ式のA社の目地より、フネンアクロスのシート状の目地のほうが施工しやすいとのお客様の声が多かったため、在庫をフネンアクロスに切り替えました。 以来6~7年を経て「東京フネン会」のメンバーに加えていただくことになりました。 5月15日に行われた総会では新商品の紹介がありました。 1、 シャオンエース―内管の塩ビ管と外管の不燃管の間に遮音管である音ふうじを内蔵した新商品。 従来の様に後から遮音シートを巻く施工が省けます。 2、 受口付パイプ125Aを新発売 3、 従来150Aまでしかなかった継手、パイプに200Aサイズを発売。

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落合住宅機器の歴史を辿る【昭和61~63年度(1986~1988年度)】

投稿者:落合智貴 昭和もだいぶ遠い過去になってきました。 当時の竹下内閣は「ふるさと創生」と称して市町村に1億円づつ配る政策をとりました。各自治体は工夫を凝らした使い方を試みましたが、結果はいまいちだったようです。財政難の今では考えられない政策ですね。 当社は昭和27年の創業以来36年間社長を務めてきた落合義作に代わり、昭和63年に落合隆博が二代目社長に就任しました。私の父である隆博は昭和46年、母との結婚を機に当社へ入社し、専務取締役として現場で指揮を執っていました。当初は旧姓の中山専務を名乗っていましたが、昭和59年に落合家の跡取りとして養子縁組し落合専務となりました。 当時の父は入社17年、年齢が48歳と創業者が二代目にバトンを託すのにちょうどよいタイミングだったのだと思います。当時祖父である落合義作は「二代目が会社を伸ばすんだ」と言っておりました。会長に退き、ゴルフや旅行にと悠悠自適の生活を楽しめると感じていたと思います。この時点ではまさか二代目に先立たれるとは思っていなかったでしょう。 私は当時高校生。高校野球に打ち込んでいました。自分が三代目であることを薄々意識しだしたのがこの頃だったのかもしれません。 【前列右から2番目が初代義作、後列左が二代目隆博、その右が三代目筆者(18歳)】 父は自分なりのやり方で会社を良くしていこうと意欲に燃えていたのだと思います。お客様を大事にする精神、社員を大事にする精神を大切にしていました。父が社長を務めた7年間は当社の歴史の中でも最も業績の良い時代でした。この頃は年間売上が9億円以上で、経営は安定軌道に乗っていたと思います。今となっては大変うらやましい繁栄の7年間でした。

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