落合住宅機器の歴史を辿る【昭和58~60年度(1983~1985年度)】

投稿者:落合智貴
昭和58~60年度は私が中学生の3年間です。
中2の時に祖父落合義作(当時社長)の自宅を二世帯住宅にリフォームし、引っ越しをしました。父の養子縁組とともに中山智貴から落合智貴に苗字が変わるのは子供心に複雑な心境でした。昭和60年8月には祖母落合照子が亡くなったのは祖父にとってはショックな出来事だったと思います。私は中2から陸上部に入り、長距離チームの駅伝メンバーとして練習の日々でした。
智貴中2
【後列中央が中2の筆者 初代、2代目、3代目が揃った写真はあまり残っていません】

政治の方は中曽根内閣の長期政権の最中です。日本専売公社がJTに、国鉄がJRに、日本電電公社がNTTにと民営化を進めたのが中曽根内閣の功績だと思います。
日本戦後政治の総決算を謳い外交でも存在感を確立していったのがこの頃でしょう。

当社は8~9億円の売り上げを確保していましたが、ナショナル製品の拡販に力を入れている時期であり、利益率は今より4~5ポイント低かったです。1000万円以上の貸倒れが時々発生し、なかなか内部留保がたまらないという状況でもありました。